「ナショナル ジオグラフィック展 」を昨日観てきました。 
世界180カ国で読まれる雑誌 『ナショナル ジオグラフィック』。
今回は、その日本版創刊20周年記念展でした。

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          北九州市立美術館分館      2015/08/24

ナショジオのテーマ「自然科学」「人類と文化」「野生の世界」「冒険・探検の記録」に沿う膨大な写真コレクションから、選りすぐり約200点が大型パネルとなって展示されていました。
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 「ナショナル ジオグラフィック展 」 北九州展チラシ

1985年冬、神田紀伊国屋書店の輸入雑誌の棚に並ぶ表紙の中から、極めて原始的な、絶滅危惧種の香りと形態を強く残した女の子の顔に釘付けになりました。後で 《アフガン難民の少女》 と呼ばれるようになった、強烈なエメラルド――緑の瞳を持つ女の子の写真が出品されるということで、必見の写真展となったわけです。

アメリカの写真家スティーブ・マッカリーが撮った《アフガン難民の少女》は、1984年 パキスタン国内難民キャンプでの運命的出会いから生まれました。
ソ連軍のアフガン侵攻と爆撃で、村は破壊され両親を失った少女はパキスタンに逃れます。カメラのレンズを凝視する彼女は、その時、初めて写真を撮られたそうです。

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『ナショナル ジオグラフィック 日本版』 2002年4月号表紙

英語版1985年6月号表紙を飾った当時の彼女の写真に世界中の読者が衝撃を受けたとのこと。わたしもその一人でした。
写真家マッカリーが、その後もずっと探し求めていた少女に、アフガニスタンの山中で17年ぶりに再会。当時の彼女の写真を、ブルカを被った本人に持ってもらった写真が『ナショナル ジオグラフィック 日本版』 2002年4月号表紙のそれです。

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『ナショナル ジオグラフィック 日本版』 2002年4月号特集記事から。
バックナンバーは座右の書です。

奇跡的に探し出せた彼女は、その間も写真を撮られなかったとのことで、上の写真は人生2回目の撮影になりました。
イスラム既婚女性で3人の娘の親になっていた彼女は、見合い結婚の夫以外の男性(写真家)を見たり話しかけたりは戒律でタブーでしたから、カメラのレンズばかりを見つめて、「名前は書けても字が読めない。せめて子どもにだけは教育を受けさせたい」と静かに語ったそうです。
(記事の中で、身元確認にはFBI科学捜査官や瞳の識別――虹彩識別法の権威者のお墨付きがあったことなども紹介しています。)

古代から、またガンダーラ王国やトルコ系ムスリムなど中央アジアからの多民族の信仰や占領支配が入り交じる地域に育った彼女の風貌に、大陸が移動する前の霊長類以前からの生物の血潮の流れを感じさせるものが伝わりました。

戦争難民として生き延び、厳しいイスラムの教えに従い、劣悪な自然環境の中で生活している女性 “戦士” の写真は忘れることが出来ません。
街中で偶然あの眼力を持つ女性に遭遇したら、神々しく映るか、殺気を感じるか、
わたしの理由なき、動物的な反応を試してみたいものです。


会場を去る時、パキスタンやアフガニスタンで、食料・医療・農業の支援やインフラ整備・水資源開発などに取り組んでいる医師の中村哲さんと、そのグループ、
ペシャワール会を思い出しました。あの方たちは実践しているんですね・・・

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映画バラン VHSビデオ アミューズソフト販売ASHV-5011

最後にアフガン難民少女を描いた映画をお薦めいたします。この映画は小学生高学年からでも、ある程度理解できると思います。レンタルソフトもあります。出来たら大きい画面で御覧ください。

バラン (旧題:少女の髪どめ) 2001年イラン映画 マジッド・マジディ監督 
                         日本ヘラルド映画、朝日新聞社