前回の続きです。
中央園路に戻って春の桜のトンネルを想像しながら、趣のある「花重店舗」を右折。左右に落ち着いた寺が並びます。
江戸三美人の一人と謳われ、鈴木春信などの多色刷り版画、錦絵のモデルとして人気を集めた茶屋「鍵屋」の看板娘が笠森お仙。彼女がいた笠森稲荷社(現・功徳林寺辺り)の先が朝倉彫塑館です。江戸当時の細い道筋沿いです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/7e/9b/j/o0640048014591955508.jpg?caw=800)
登録有形文化財 台東区立朝倉彫塑館
昭和3年から7年に掛けて造られた彫刻家・朝倉文夫のアトリエ・住居・東屋を公開。この春、耐震工事と並行して晩年期の昭和30年代の姿に復原する職人仕事が終わり、リニューアルオープンしています。
石膏原型の多くは関東大震災で破損。さらに第2次世界大戦中、金属供出令に協力した朝倉氏はブロンズ作品の大半を提供したそうです。
写真やカタログ印刷にしか残っていない作品が数多くあるということです。
(早稲田大学のシンボル、大隈重信像(1932)はFRP(強化プラスティク)製が展示してありました。素人目には銅製と分からないくらい良く出来ています。)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/c0/f0/j/o0640048014591955515.jpg?caw=800)
館内が撮影禁止でしたので、展示室や数寄屋造りの住居の素晴らしさが写真でお伝えできません。
外観からは想像もできない“別世界”を是非直接お確かめ下さい。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/c0/f0/j/o0640048014591955515.jpg?caw=800)
国指定名勝 旧朝倉文夫氏庭園
谷中の湧水が紅葉の裏葉を揺らします。
国内で最も早い頃に造られた屋上庭園。ジブリ美術館より早かった!
当時は野菜を植えていたとか。その先進性に驚きます。
現在は花壇ですね。反対側のオリーブの大木も見事です。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/04/a8/j/o0640048014591955520.jpg?caw=800)
背を向けているのは「砲丸」。
ロダン作「地獄の門」の「考える人」を重ねてしまいます。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/0f/36/j/o0640048014591955524.jpg?caw=800)
「砲丸」 作者の気持ちが乗り移っています。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/67/74/j/o0640048014591955529.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/58/cd/j/o0640048014591955532.jpg?caw=800)
彫刻作品も、こうゆう飾り方だったら幸せです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/05/32/j/o0640048014591955538.jpg?caw=800)
屋上から東方向の眺め。下の木立が谷中霊園。
その後方に山手線や京浜東北線が通っています。
谷中のランドマークとして五重塔再建が叶うといいですね。
この真下に幸田露伴と北原白秋の旧居跡があります。(現在個人宅)
裏に住んでいた白秋は朝倉邸を訪れています。
素晴らしいサロンだったことでしょう。
夢のような空間から朝倉摂、朝倉響子の姉妹の美意識と感性が育ったわけです。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/be/4d/j/o0480064014591955541.jpg?caw=800)
JR 日暮里駅北口改札口から西口を出て徒歩5分。
谷中銀座はすぐそこです。
つづく