イメージ 1
 
 山口百恵
二十才の記念碑 曼珠沙
CBS・ソニー 1978
ジャケット写真撮影:篠山紀信 
 
 
イメージ 2                    
 
アルバムの帯が邪魔だと言わないでください。
デザイン的に計算されていると考えましょう。
 
(私のLPレコードコレクションから )
 
曼珠沙華は別名 彼岸花。
古代インドの文章語サンスクリット語のマンジューシャカ(manjusaka) の音写で、如意花と漢訳される・・・
 と言うようなことがレコードの歌詞カードに書いてあります。
 
1978年、このレコードが発売された時、山口百恵さんは19才。(アルバムのサブタイトル二十才と違いますが、その頃の歌手は大人に見せるというより自然と大人に見えた歌手が多かったようです。)
 
LPレコードA面には、阿木燿子作詩・宇崎竜童作曲「曼珠沙華」 と村新司作詩・作曲「いい日 旅立ち」 が入っています。
なんと豪華なアルバムでしょう。
必聴の “レコード”、日本歌謡史の “大記録” だと思います。
 
 この年の紅白歌合戦で百恵さんは紅組のトリでした。「プレイバックPart2」を歌います。
(白組の大トリは沢田研二さん。)
 
NHKの自主規制で、それまでは「真っ赤なポルシェ」の歌詞を「真っ赤な車」と 変えられていたので、紅白はどうかと注目を浴びましたが、オリジナルの歌詞を歌ったことでも話題になりました。
 
2年後の80年は、日本武道館でファイナルコンサートチームではなく、ソロで歌える歌手の黄金時代でした。
 
東京郊外に住む妹の家の近くに三浦邸があり、上京の折、朝の散歩で前を通った時に少しドキドキしたことを思い出しました。 ご結婚されて数年たった頃でした。
 
 今、日中間で歴史・政治・経済・軍事、いろいろな問題が起きていますが、山口百恵さんが引退される前、中国で一番知られた日本人であったことを忘れてはいけません。
 
どうも最近、互いの芸術文化を軽んじている気がして残念です。