沖縄戦体験者の声 | CHO-1流

CHO-1流

2000年より沖縄を拠点に全国、そして海外でも音楽イベントを企画している
JACKEROO'S(ジャックルーズ/JKRS)のCHO-1の日常の出来事や仲間の紹介、イベントの告知等を伝えていきます。

 

 

 

 
【2019年4月23日(火)沖縄県糸満市・八重瀬町】
 
昨日は、京都のバンドGreenWorldが中心となりこれまで
 
開催されてきたGreatLuck Fesの主催者である、
 
GreenWorldボーカルのTAKA、名古屋のTOLANDのコウヨウ
 
そして、リキの3名を沖縄で迎え、本島南部戦跡の
 
平和ガイドの活動もされている井出佳代子さんの
 
コーディネイトの元、糸満市にて、沖縄戦体験者の
 
大屋初子さん、久保田宏さんのお二方のお話を
 
聞かさせいただきました。
 
 
 
大屋初子さんとは午前10時に糸満市の魂魄の塔の前で
 
お会いし、1945年戦争当時9歳だった初子さんの貴重な
 
お話を聞かせていただきました。
 
■参考資料:大屋初子さん
http://nagonagu.hatenablog.com/entry/2007/06/24/102925
 
■魂魄の塔
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/okinawa/senseki/konpaku.htm
 
 
 
 
「アメリカ兵も日本兵も、みんなかわいそうだったよ〜
 
 みんなが被害者だよ〜」
 
「魂魄の塔は世界の塔と言ってもいいぐらい、沖縄の人
 
 だけじゃなく、日本兵もアメリカ兵も入ってるんだよ。」
 
「もう二度と戦争が起きない世の中にしないといけない」
 
「あなた達、若い世代が平和な未来を作っていってね!」
 
初子さんの戦争がもたらす悲惨さと、平和への強い想いを
 
一つ一つ、言葉を選び、聞かせていただきました。
 
 
「午後は筋トレしてくるさ〜!」
 
と笑顔で帰っていかれました。
 
 
午後は、同じく糸満市の米須(一家全滅の多かった地域)
 
にある忠霊の塔の前で久保田宏さんのお話を聞かせて
 
いただきました。
 
 
■参考資料:久保田宏さん
https://www.qab.co.jp/news/2017062391841.html
 
 
 
沖縄戦当時4歳だった久保田さん。
 
忠霊の塔の真下にあったガマの中で多くの地元の皆さんと
 
共に避難し、戦後は石川捕虜収容所に連れて行かれ、
 
半年ぐらい経ってから糸満市に戻ってきたそうです。
 
 
 
久保田さんは普段から平和ガイドや語り部等の活動をして
 
いる人ではなく、普通に糸満で暮らしていた住民。
 
だからこその、リアルな声を聞く事ができました。
 
終戦後は、久保田ストアという商店で生計を立て、
 
糸満市で暮らしてきたそうです。
 
 
「米軍基地はあってはいけない。 なぜなら、
 
 基地があるという事は、狙われる可能性があるから。
 
 基地は爆撃される場所だから。」
 
その言葉は、静かに、でも、ずしんと僕の心に響きました。
 
 
 
初子さんも、久保田さんも、お忙しい中、
 
井出さんのお友達が県外からやって来るからという事で
 
時間を作ってくださり、沖縄戦当時の辛い時代の
 
お話を聞かせてくださった事、心から感謝しております。
 
その後、お隣の八重瀬町の道の駅でちょっと休憩しながら、
 
みんなで感想をシェア。こういう時間はとても大切ですね。
 
 
 
 
16時には八重瀬町のヌヌマチガマ(沖縄戦当時、野戦病院と
 
して使用)に移動して、毎年、FUNKISTの沖縄ツアーの際の
 
平和ガイドでもお世話になっている松永さんと
 
合流し、お話を聞かせていただきました。
 
 
■ヌヌマチガマ
https://www.heiwa-guide.net/gama/78-gama01.html
 
修学旅行生の皆さんのバスも2台来ていて、
 
ヌヌマチガマの中を見学していました。
 
若い世代の皆さんの心にも、平和への想いが芽生え、
 
育っていく事を強く願います。
 
 
午前10時から夕方5時まで、沖縄戦の現場で、
 
初子さん、久保田さんの貴重な体験談、そして
 
平和ガイドの井出さん、松永さんに丁寧なガイドを
 
していただき、今回沖縄入りしたTAKA、コウヨウ、リキの
 
3人、そしても僕もとてもありがたい、貴重な経験を
 
させていただけた事、深く感謝いたします。
 
この経験をこれから、様々な手段で、特に次の世代に
 
届けていかなければ、と思っています。
 
改めて、大屋初子さん、久保田宏さん、井出佳代子さん
 
松永光雄さん、お世話になりました。
 
ありがとうございました!!