欠けた<六華撰> (つづき)
子供の頃「シコウ」と呼んで憧れていた旧制の第四高等学校があった裏の通りでザカを拾った。長身に黒のダブルのコートがよく似合う。変わらぬダンディズム。
「お前ら、俺を三十分もこの寒さの中で待たしといて、許されると思うのか」
「ちょっとバレンタインのデートをしていたんだわ。ま、乗れや」
ジンの家ヘ着いた時は、雪は小降りになっていた。
部屋に上がると、ガラスをはめこんだ障子越しに雪の庭が見える。お茶を持って来てくれたのは少し疲れたような様子の妹さんだった。お会いするのを楽しみにしていたお母さんが姿を現さない。
「お母さんは?」
「うん、ちょっとな」
ジンが少し口ごもるのを見て、妹さんはお盆をさげて去った。
「ちょっとって、どうかしたのか?」
「実はな、去年の秋に脳梗塞で倒れてな。入院してる」
「え、あのお母さんが?」
ジンはその事を一度も言った事が無かった。ブックもザカも知らなかったようだ。
「で、どうなんだ」
「年が越せるかどうかって状態だったんだけど、まあなんとかな…。それで妹が時々来てるわけだ」
「そんな重症なのか。心配だな」
「ま、心配してもしょうがないよ。とにかく今日はショーベエだ」
見舞いに…とでも言い出すのを先に制した感じだった。
「そりゃまあ、何ができるってわけでもないけどさ…」
ブックとザカはお母さんとの関係が薄いという事もあるが、口先の慰めが何の役にも立たないのを知っている連中だ。
「ぼちぼち行くか。いろんな奴が来てるだろうし」
ブックが重い時間を切った。
「松に雪、往きし友あり、我を待つ」
黙って庭を眺めていたザカが、どうだと言わんばかりに立ち上がった。
雪の中のお通夜にはすでに多くの人が集まっており、高校の同期連中がかなりの比重を占めているようだった。礼服にゴム長靴という姿も見られて、雪国を感じさせた。
「もしかして、イハラか?」
「そういえば、ヤマダ?」
どこか見覚えはあるが名前を思い出せない相手が多い。すまん、と思いながら焼香の列ヘまぎれこんだ。離れた所に梅沢の姿が見えた。
参列者の焼香も終わり、別室に集まってきた人々の間で挨拶が交されたが、いきなり握手を求めたり、懷かしげに肩を叩いてビールを注いでくれる男が誰なのか、とっさには思い出せない。梅沢はジンやザカと別のテーブルにかたまっている。
なんとなく珍客扱いされて戸惑っているのを察してブックが寄ってきてくれる。さり気なく相手の名前を交えながら、今これこれこんな事をやっているとつないでくれて、ようやく親しく口をきく事ができる。あからさまに表に出さない気配りが、今更ながらありがたかった。
「おい、ちょっと」
ブックが白髪の女性の前ヘつれて行った。
「タカだよ」
「え、あの生意気タカか?」
「おニューね」
中学の頃から学校新聞や児童劇団などの仲間だった旧姓久保多佳代。以前金沢で開かれた高校の二十五周年記念同窓会で挨拶程度の会話を交して以来だ。年を経て懷しさが深まっていた。
すこしやつれた様子だったが、髪を染めていない自然体のタカに、控えめながらいつもはっきり自己主張を通していた生きざまみたいなものを感じた。
「“生意気タカ”なんて覚えていてくれたのね。おニューと会えるなんて、ショーちゃんのお引き合わせだわ」
「忘れないよ。修学旅行の時もいっしよに騒いだし」
横に坐って話しこもうとすると、記憶にない女性が二人割りこんできた。
「じゃ、またゆっくり」
梅沢たちの席ヘ近づこうとする私の背中を押して、ブックが廊下ヘつれ出した。
「明日の告別式、出るんだろう?」
「うん」
「だったらな、お前に友人代表で弔辞を頼みたいんだ」
「何だよ、いきなり。当然お前だろうが」
病院を嫌がって自宅にいたショーベエを、梅沢が手配した病院ヘ自分の車でなんとか運び、車椅子にも坐らせられない状態の体をおぶって入れたという話も聞いている。その時ブックは、「担架じゃなくて、俺の背中にしろ」と叫んだという。並の友人ではできない事を、呉服商売そっちのけで面倒見てきた筈のブックをさしおいて、突然友人代表で出る事など考えられない。ショーベエの家族とのつながり、金沢での同期生との関係、地元でのしがらみもある。だがブックは強硬だった。
「中学、高校、ずっといっしょにいろんな事やって…。さかのぼりや、幼稚園、小学校まで同じだっていうじゃないか。いま話しかけてショーベエがいちばん喜ぶのは、お前以外にいないんだわ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、かんべんしてくれ。そんなの一分ともたないよ。それに今更、何を言えばいいんだ」
「言う事は山程あるだろうが」
「だけどな…」
しばらく廊下の窓ごしに屋根の雪を眺めていた。
「ちょっと来てくれ」
ブックが肩を抱きかかえるようにしてつれて行った階段の踊り場にショーベエの奥さんが立っていた。
「本山さんからお聞きやろうけど、是非お願いしますわ。いつも、ニューが、ニューが、と話しとった主人やさかい」
奥さんの口から、発病して以来繰り返していたという思い出話が途切れ途切れれに続いた。
「だけど。だから、なおのこと僕には…」
ブックに言ったのと同じ意味の事を丁重に奥さんに告げた。
「お気持ちようわかりました。ご無理お願いして申し訳ございませんでした」
目をうるませて聞いていた奥さんは深々と一礼した。
追悼二次会をやろうと言い出したのは梅沢だった。ブック、ジン、ザカ、ミツグなども加わって十人ばかり。ホテルのラウンジで円型のソファーの席を二つ陣取った。
久しぶりの会話があちこちから飛んできたが、先刻の弔辞の話と奥さんの顔が妙に頭を離れない。
横の梅沢がグラスを口に運びながら、しんみりと経緯を話してくれた。
「ショーベエを無理矢理医学部の後輩がいる病院ヘ入れて、死ぬ三日前も見舞いに行って昏睡状態のまま脈をとったりしてみたんだ。まだ脈はしっかりしてたから、少し安心して帰ったんだけどな…」
「お前も辛かったろうな」
「俺も医者だから、いろんな人間の死にたちあってきたよ。でも昔からの友だちってのはまた別のもんだよな」
「ほんとそうだ。ところでさ、もし俺が何か非常事態になったら、お前に面倒見てほしいんだけどな…。変な話だけど、だめならだめで…」
「悪いけど、それだけは断る」
梅沢がこれほどまでにきっぱり拒絶した言葉はかつて聞いた事が無かった。
「でも、たまには自分の体を調べた方がいいぞ。お前は高校時代から生きる事に建設的じゃないようなとこがあったけど、やっぱり生きてるんだからさ…。何かあっても早めに見つければ今の医学なら何とかなる確率が高い」
「だけどさ、でっかい病院であちこちまわされて、何とかスキャンだの何とかエコーだのって面倒臭そうだよな。ご忠告に従うから、どっか東京あたりでお前の顔のきく病院を知ってたら紹介してくれないか」
「今、思いあたる所は無いな。それより一度俺のとこヘ来ないか。検査してやるよ、俺の家へ泊ればいい」
「それは心強いや。そのうち押しかけるから頼むよ」
「ああ、いつでもいい。土曜日も午前中はやってるから」
「ところで今の話、俺に何か前兆でも感じたのか?」
「そんな意味で言ったわけじゃない。でも、ちょっと元気が無いようだし、前に会った時よりまたやせたみたいだからな…。ただ、いつ死んでもいいやなんて思ってる程には、人間の生に対する執念てやつは単純なもんじゃないってことなんだ」
永い付合いからの直感から出た私に対する言葉だったのか、親友であると同時に医者らしい重みがこもっていた。
<アナログ高校物語 第51回につづく>
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いつも読んでくださってありがとうございます。
アナログ高校物語は毎週火曜日更新です。
ちなみに物語に登場する伊原なる人物が
わが父、伊藤嘉直のようです。
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この連載も、あと2回か3回ほどで終りますが、
父が書いたものをここまで読めて良かったと思います。
毎週、父に想いを巡らせてきたわけですが、
連載が終ったあと、どのような気持ちになるのでしょう。
そのあたりもまたブログに書いてみたいと思います。
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『アナログ高校物語』は、
創設から4年を経た(昭和28年)石川県立金沢二水高等学校の
ある日の授業風景から始まる物語です。
物語の書き手は私の父、伊藤嘉直。
昭和10年生まれの父は同窓の仲間の協力を得ながら
平成12年12月に書き上げられたこの物語は、20部だけ製本して形になったようです。
おそらく私は社会人1年目に父からこの本を手渡されました。
なかを読むことなく15年以上が経ち、父もすでに他界しました。
思うところがあって、
今回、初めて内容に目を通すと同時にブログへの公開に取組んでいます。
【思うところを書いた記事】 アナログ高校物語 第0回 〜父の自叙伝のようなもの
手元に一冊だけ父から渡された本があり、
その表2部分(表紙の裏)には、こう記されています。
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駄文の書き手 伊藤 嘉直
美本の造り手 上田 孝信
気力の支え手 梅田 俊彦
評のほざき手 笠松 正彦
窪田 香代
細川 弘司
前川 盈
松村 順
山本喜久二
(五十音順)
※以上 昭和二十九年石川県金沢二水高等学校第六期卒業生
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アドバイザー 植松 二郎
※第十二回織田作之助賞受賞作家・コピーライター
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