PBX5 Bldg. -77ページ目

PBX5 Bldg.

当館にお越しくださりありがとうございます。生活や思い出、たてもの関係など、ジャンルを問わず書いていきます。気軽に読んでいただければ幸いです。

今回は、平成に誕生(もしくは普及)し、平成の終わりとなった今ではほとんど消滅してしまった「記録メディア」を振り返りたいと思います。

ミニディスク(以下MD)です。このMDは、当初カセットテープと互換のあるDCC(デジタルコンパクトカセット)とともに登場しましたが、MDが優位になりました。

MDは音質的にはCDに劣りましたが、取り扱いが簡単なことと、頭出しや入れ替えなどの編集が容易でしたので、私もカセットテープが劣化しないうちにと、ダビング用にMDデッキを買い求め、カセットからMDにダビングをしてMDが100個近くになりました。

しかし、ダビング後カセットの廃棄を計画していたのですが、先延ばししているうちに、iPODに代表されるメモリー式ポータブル機器に押されてしまいました。MD搭載のラジカセやミニコンポも徐々に姿を消し、今現在(一般的な)新品の機器は入手できなくなりました。

 

(当時、そう信じていた)「消えゆくカセットテープ」の代替として導入したMDが消えて、カセットテープが売れ続け、最近再び脚光を浴びています。

 

これは、パソコン用の記録メディアでしたMO(光磁気ディスク)です。

保存信頼性、扱いやすさで導入しましたが、機器が高価だったこと、パソコンと接続にSCSIなどやや難があったことなどで衰退しました。

こちらは、映像録画用のDVD-RAMです。VHSの保存映像のダビング用に導入しました。扱いが簡単でしたが、対応する録画機のメーカーが限られていたことなどから思ったより普及せず、徐々に衰退。対応メーカーも後継機では「カートリッジより中身のディスクを取り出して使用してください」になってしまい、両面ディスクでは取り扱いが困ってしまいます。

 

平成の終わりととも、姿を消してしまった記録メディア3種を取り上げましたが、この3種に共通する良い点は「ユニバーサルデザイン」であったことです。

手の不自由なかたでも、ディスクに傷を付けることなく機器にセットでき利用できました。DVD-Rのディスクをトレイに載せるのが難しく、盤面に傷を付けていた知人も、カートリッジDVD-RAMは装着も容易で助かっていたそうです。

平成が終わるまで、残り1週間を切ってしまいました。

今回は、平成が始まったときの出来事を記したいと思います。

昭和64年、1月7日は新年会で横浜へ行きましたが、駅で受け取りました号外で、昭和の終わりを知りました。新年会は自粛になり、顔を合わせ直ちに帰宅となりました。

テレビ・ラジオは追悼特別番組でした。洋楽が好きだった私は、FEN(Far East Network::米軍ラジオ放送)も聞いてみましたが、こちらの方がより荘厳なクラシック音楽のみで、音声は、毎正時前の局名IDのみでしたそのバックの曲も、胸が締め付けられそうなものだった記憶があります。

そして、平成が始まりました。

 

ある日、友達から「新車撮りに行かない?」と誘われて撮りましたのが

プリントを撮影なので反射が写り込んでいますが、当時の東海道線主力車種だった113系に、2階建てグリーン車が加わったというので撮りました。車番はサロ124-2と読み取れます。

確かに、新車でした。元年という表記も、新しい平成時代が始まると実感したものでした。

小中学生の頃、学校で「映画会」という行事?がありました。

体育館の窓を全部暗幕カーテンで遮光し、中央に架台に載せられた映写機、舞台の方にスクリーンを配置し、生徒は折りたたみ式のスチール椅子に座って観ました。

映写機の「カシャカシャ」という音とともに、スクリーンにはまずリーダー部分が写って始まりました。

学校で観ました映画は、16mmフィルムの短編映画で、交通安全のものや火災の恐ろしさ(確か、大洋デパートと酒田市の大火など)など、教育的なものでした。多くの友達は、(映画館上映の商業映画と比較し)つまらないと不評でしたが、私は断片的ながら今でも心に残っている貴重な映像がありました。

今はDVDの時代。学校でも、もうあの映写機は使われていないのではと、時代の流れとは言え寂しさを感じました。

これは、30年ほど前、サークル活動で上映会をした時の一コマです。図書館などの映像資料をお借りするには、団体登録をし、さらに映写の講習会を受講し認定証を取得する必要がありました。

 

DVD全盛の今、保存されている短編映画作品がどうなっているのか気になります。映写機も、もう新造されてないと思われます。地味ながら貴重な映画はたくさんあるように思えます。

1988年の一時期、テレビで「産業映像」(短編映画の一種)を扱った番組もあったような気がします。

 

衛生機器メーカーのTOTOも、東洋陶器時代に短編PR映画が制作されました。震災後整備された福井市が舞台で、下水道や水栓トイレなどの内容だったそうです。10年ほど前に、TOTOにこの映画について問い合わせましたが、残っていないそうです。