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PBX5 Bldg.

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先ほどニュースで、JR東日本高崎線が全線復旧したと報じられていました。
事故は15日、架線上の電線が絶縁体から外れてショートして、配電・信号設備が焼損したとのことです。

この「絶縁体」は、首都圏のJRだけでも8万箇所にあるそうです。
私は日頃、車両は見ても架線や絶縁体までは、気にとめていませんでしたが、旅行の撮影画像で偶然、ありました。

絶縁体
架線と支柱に、多くの碍子(絶縁体)が付いていました。改めて見ると、形もさまざまで複雑に作用しているように思いました。
これらの部品たちが互いに作用して、DC1500V(新幹線などはAC25000V)の電圧を車両に供給しつつ、絶縁を保っていると感じました。

碍子というと、昔の古い家屋の天井にあったノップ配線を思い出します。また、今も各家庭に引き込まれている電線と建物を支える部分にも使われています。
電気を安全に使うための、目立たないけど重要な部品と、感じました。
物入れに、古いテープレコーダーがあります。カセットテープ以前の、オープンリールという裸のテープを手でかけて使う録音機器でした。
ポケットに入って、PCMという高音質で録音ができるICレコーダー時代の今となっては、無用の長物のようです。新品のテープすら、手に入らなくなってしまいましたし、このテープレコーダーのメーカーも今はありません。

役に立たなくても、思い出が詰まったものはいくら断捨離とかいってもなかなか処分ができません。
そのテープレコーダーを、約1年ぶりに通電させてみました。

テレコのメーター
電源を入れると、録音レベルを見るメーターが、豆球で照らされて浮かび上がりました。そして昔録ったジャズのテープをかけてみましたら、再生されてメーターが音に合わせて振れました。
デジタルのバーグラフになれてしまったのか、懐かしいというより、これまで感じなかったものを感じることができました。素早く動く針、よく耐えられるなーとか、寒かったのも手伝ったのかこの豆球で浮かび上がっている姿に暖かみというか親しみを感じました。
あの日から、5年が経ちました。
あの日も、今日と同じ金曜日でした。
知人のパソコン部品を買い求めに、秋葉原へ向かおうとしましたが駅で腹痛に見舞われ、仕方なくバスで近くのPCショップで買いました。もし、秋葉原へ行ったら帰宅ができなくなっていました。

5年が経って、ひび割れだらけだった自宅前の道路も昨年再舗装され、街からも、友人知人や近所の人々からも、その記憶が風化しようとしています。
イメージ 1
イメージ 2
これは、我が家のある一室の壁です。これまで小さな地震に遭っても無傷だったのですが、あの震度5強の揺れには、継ぎ目などが耐えきれず、このようになってしまいました。

ご近所のお宅でも、同様のひび割れなどが生じましたが、その後壁紙を貼り替えたりしてすっかり元に戻っています。

我が家も、損傷のひどかった外装などは修復しましたが、この壁紙はあえて貼り替えていません。昔、親からよく「災害は忘れた頃にやってくる」と聞かされました。そのため、あの時起こった「事実」として、保存することにしたのです。
家族からは当初「思い出したくないから貼り替えてくれ」など保存に反対意見もありましたが、最近ではこれを見た家族が「持ち出しのリュック整理しないと」「消火器が期限切れ」と、防災意識を持つようになりました。

今日、テレビでは各局特番を報じていましたが、我が家では今日に限らず、いつでもこの壁を見ると、「東日本」と「阪神淡路」を思い出します。