東日本巨大地震 | PBX5 Bldg.

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昨日3月11日、14:46分頃宮城県沖で、続いて茨城県沖で巨大な地震が発生しました。また、本日未明には長野県・新潟県でも大きな地震が起きています。亡くなられたかた、負傷をされたかたに、心より哀悼とお見舞い申し上げます。

私は、昭和53年の宮城県沖地震で転んでケガをしました。川崎に住んでいましたが、子供心に怖くて、今でも脳裏に焼き付いています。そして前回書きました阪神・淡路大震災前の出来事もあり、現在DIYにて自宅の耐震化工事を行っています。

3月9日のお昼前、知人宅でお昼をいただいていましたら、設置されていた「緊急地震速報」が作動しました。「震度3が30秒後とアナウンス」され、急いで火を消し知人とテーブル下に潜り込みました。カウントが「ゼロ」になり、わずかに揺れました。ホッとしてテレビをつけましたら、宮城県震度5、震源が三陸沖、M7.3で、津波注意報も発令されていました。幸い津波の大きな被害はなかったのですが、私がブログの話(阪神・淡路の年の元日に関東で起きた地震)をしましたら、知人が「想定されている宮城県沖地震か東海、関東直下型が来るかもね」と…
帰り道、不安で辛い気持ちになりました。帰宅後、備蓄食料や防災用具、家具の固定など再確認しましたが、耐震工事はまだ施工中なので気になってしまいました。

そして11日2時46分過ぎ、休みだったので部屋にいましたら足下がフワフワし始めて、まもなく大きな横揺れが。ガタガタというより前後左右に小刻みに大きく振られるような、今まで経験のない揺れ方で、立っていることができません。しかも時間が長くて、棚からCDが落ちてきてこのままでは家が倒壊する、万事休すと思いました。2分近く?続いてやっと収まりましたが、足が震えて立てません。仕方なく座っていましたら、ほどなくしてまた大きな横揺れが。そして停電が起きてテレビが消えました。恐怖でラジオを握りしめすぐ近くの空き地へ行きましたら、ご近所の皆さんが集まっていました。

皆の無事を確かめ合い、自宅に戻りましたが、電源が不安定でラジオしか聴けず、保安灯も30分で電池切れとなってしまい、あとはLED懐中電灯で過ごしました。夜半に電気は復旧しましたが、時々余震の小さな揺れで、ほとんど眠れず、復旧したテレビには、大津波の想像を絶する光景。胸が痛み、また胸騒ぎの教訓を、生かすことができなかった自分が悔しくなり、流れ出る涙が止まりませんでした。

一刻も早く地震活動が終息され、原発などこれ以上被害が広がらないことを願っています。