第1志望の工業高校が合格したため、学年に7人しか女性がいない工業高校へ入学した。

学校で頑張ってもモテル事は無い。

入学早々頭髪検査もあり、短髪にされます。せいぜい出来るおしゃれは、当時流行っていたベッカムヘアーのソフトモヒカンでした。

 

彼女が欲しかった僕は、野球部へ入ったが、バイトとの両立が出来ず、野球部を辞めた。

人とのコミュニケーションが苦手だった僕は、バイトでなかなか馴染めず働くことに楽しさが無かった。

 

学校に出会いがないため、同じ中学の友達に合コンを開いて貰ったり、高校の仲間を誘ったりしてなんとか仲間を作る事で必死だった。

唯一変わった事は、中学まで祖父の家にすんでおり、テレビはNHKしか見せてもらえず、夜更かしなんてやらせてもらえなかった生活が、母親が引っ越してくれたので、門限は自由になったが、3人兄弟であった僕は、弟と共同部屋。

彼女が出来ても、いつ部屋に弟が入ってくるか分からないから、部屋に呼べない。

 

ただプラスなこともあった。苦手な堅い祖父と離れたことで、何かにビビッて生きなくても良くなった。

 

なので中学時代の友達と再会した時に、顔が生き生きしてたのか告白したら成功し、初めてお付き合いが出来た(^O^)/

ただ彼女を狙っていた男性がおり奪われました。

 

これが高校1年生唯一の恋ですね。

それよりも、バイトで馴染めず暗いキャラクターにどうしてもなってしまう事が一番の悩みで恋愛どころでは無かったのも事実。

 

高校2年より、その悩みを解決するために、いろいろ動きますので第5話をお楽しみに☆

 

 

ツイッターも活用したことなかったのですが、デビューします。

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第2話を終えて、高校へ進学するために受験することになった。

僕の学力は内申点24だった。母子家庭に育ち、3人兄弟である僕は、母親の負担を減らすためにも、公立高校へ行く必要があった。

公立高校は2個受験できて、僕は内申点目安24の工業高校(男子校)とオール1の成績でも入れる高校を滑り止めとして受験した。

 

後々は、工業高校(男子校)へ合格して行くのだが、オール1でも入れる学校を受験した時のお話です。

 

体育館へ、受講生が集まった時、テレビのヤンキー学校に出て来そうなピアスをはめて、金髪の方が複数いた。

「こんな学校へ行ったらイジメ、パシリにされそうだな」と思いながら、受験していた。

 

テスト中も、受験生がべらべら話をして先生に怒られてるのを見たり、駅の改札をジャンプして乗り越えて切符を買わずに通過していく者。

校門の前での喧嘩を2件見ました。

 

テストが終わって休憩中の時、ヤンキーが俺に話してきた。「お前どの子がタイプだ?」と。

その教室には1人、綺麗な女性がいた。勿論、ここの学校を受験する子だから髪はオレンジだった。

俺「あの子がタイプ」とヤンキーに伝えると、ヤンキーは「ナンパしてこい」と指令を下した。

 

俺はナンパは好きじゃない。ただヤンキーに攻撃されたくなくてナンパした。

 

そしたら、、、

 

 

なんと、、、、

 

 

 

成功してしまった☆

 

 

当時はプリペイド携帯を持っていた。メーカーは「TU-KA」だったなぁ。

 

受験が終わった春休み、1回遊びに行った。

その子が僕の最寄り駅まで、来てくれて、何をしたのか覚えていないが、笑顔で過ごして僕も相手も喜んでいた。

遠距離でお金も無かったので、それっきりの縁ではあったが、その子のフルネームをしっかり覚えている。

 

 

その後、中学校の友達に再会した時に、「受験でナンパした男」と中学の同級生の多くの方に知れ渡っており、噂の広まる速さを知った。

でも恥ずかしくない噂だし、気にならなかった。多分、中学の同級生は「なぜジェーケーディー(俺)ごときが成功するんだ?」って思ったと思います。でも僕は気が大きくなると、たまにパワーを発揮するため、自分では驚かなかった。

 

 

成功した要因は、オラオラ系の力が全てだと思っているヤンキー集団の中で、平和を愛した俺の勝利であったと思う。

母親に経済的負担をかけたくないと、意地でも公立高校に受けると決めた俺への神様からのご褒美であった。

 

32歳(未婚)になっている今、その経験から得た自信も僕を支えています☆

 

 

勇気を出して声をかけて失敗する時もあるけど、成功する時もあるんだと、、、、。

●小学生時代

小学校の1、2年は、ただ平和に生きており、とにかく僕は恋愛を知らず「ただいい子」だけだった。

「いい子」だったのと「優しい」イメージを周りから持って貰っていたと思います。人見知りしなかったため、誰とでも遊んでました。成績は悪かったです。小学校2年の時に、優しい人に、「チョコあげようか?」と言われ、2人からチョコ貰う。好きだった人とは全く縁無し。アタックもせず。

3、4年生になった時に、クラスで学年で1番ヤンチャ坊主だった人に気に入られ、よくその方と遊び悪い事を繰り返す。「楽しければ良い」と、「悪い事」の魅力に取りつかれていく。クラス会で「〇〇君にされた嫌な事ランキング」で2位に入る。だが、自然とそのヤンチャ坊主とつるんでいると、そのヤンチャ坊主と一緒に可愛い女性と遊ぶ事ができ、1番好きだった方からチョコを貰える。

5、6年生になると、ヤンチャ坊主とクラスが変わり、オタクな地味な友達とつるむようになる。平和だが、刺激はあまり無い生活を送る。ただ誰にでも優しかったため、学年でブスの1位と2位の人からチョコを貰う。友達から生徒会の副会長に推薦され、副会長をやったりもしたが、モテず。

 

 

●中学生時代

市でナンバーワンになるぐらい強い野球部に入り、3年間、野球漬けの生活でした。7クラスあったため、可愛い女性は沢山いました。

1年の時は、全くおとなしい生活を送っており、恋愛は何も無し。

恋愛は2年の時、友達に好きな人(E氏)を言ったら本人にバラされ、ヤバイと思ったが、そのE氏は僕に手紙をくれて手紙のやりとりが始まって幸せな学校生活を送っていたが、2年の途中でE氏に彼氏が出来て冷たくされるようになるし、無視されるようになる。ストレス発散は野球のみになる。(補欠だったため、練習試合の2軍戦が僕が出場できる唯一のストレス発散場所でした。)

3年になった時のクラス替えで、まさかのE氏と同じクラスになってしまった。夏まで全く話さず、すれ違ってもお互い目も合わせず、E氏は僕といる環境の長さに腹が立ったのか、からかって僕にまるめた紙を投げて女性数人でクスクス笑っていた。屈辱でしたが、反抗せずに堪えた。E氏を見返す日がやってきました。「スポーツテストの日」です。僕は野球部で鍛えていたため、体力測定のシャトルランで満点を取りました。

そうゆう小さなアピールの積み重ねがE氏の心を徐々に動かしていき、E氏から謝罪の手紙を貰い再び手紙を交換した。修学旅行の時、E氏は雨が降っているのに傘を持っていたのにささずに歩いていた。僕は「入りなよ」と、E氏は躊躇せずに入ってくれた。長時間一緒に相合傘で歩いていた為、クラスの生徒の皆が驚いていたし、その空間が嬉しかった。E氏とは付き合う事はできなかったが、僕に勇気と自信をつけさせてくれる女神だった。他の綺麗な女性にアタックしても、ダメで影で「キモイ」とか言われてる声を聴いたりしたが、E氏だけは優しく僕を見守っていてくれて、今もE氏のその「優しさ」があったから潰れずに生きて来れたと思っています。中学校時代の恋愛はE氏との手紙のやりとりのみです。悔しい経験も必要ですが、成功体験があると、穏やかな気持ちになれます。そういった意味ではこのE氏がくれた愛情に感謝しています。

 

先にお話しますが、童貞を捨てたのは18歳の時ですので、この時はセックスを知りませんでした。


 

第3話では、「僕の恋愛自己紹介2 高校~」

 

を紹介します。

はじめまして。

JKD32歳♂です。

このブログは、結婚を目指した行動記録です。

 

 

身長170cm、体重66kg。

髪の毛が薄くなったので6年前からスキンヘッドで顎髭を伸ばしています。

高卒です。

 

 

鬱病になり、6年前(26歳の時)に精神科入院経験2度あります。

暴れてパトカーに乗っていました。

自分は何でこんなに不器用なんだろうと思いました。

現在も、安定剤を服用しています。

多分、双極性障害を抱えています。

そして多重人格です。

 

 

現在の仕事は介護職で3年半続いています。年収は400万ぐらいで、貯金はありません。

去年、フルリノベーションされた分譲団地をローンで購入し、66㎡の3LDKの家を持っています。

 

 

5歳の時に、両親が離婚し、母親の手で育ちました。

片親で育ったため、父親が何なのか知りません。

 

 

今、パートナーはいなく一人で生きていこうと思えばできますが、パートナーの存在はとても魅力的で憧れます。

けっして誇れる自己紹介ではありませんが、幸せになりたいのです。

それを叶えるために、行動しようと思いました。

 

 

何卒、宜しくお願いします。

 

 

第2話では、僕の「恋愛自己紹介」を致します。