しばらくまえの話、よく行ってた近くのコーヒー屋がつぶれた。ビシャカパトナムじゃめずらしくWifiが使えて、まともなコーヒーが飲めて、それなりのサンドイッチが食える店だった。この街に来た頃は週2、3回は行ってた。
店が潰れたのと直接関係があるのかわかんないけど、去年の10月の台風で店が一時閉まって、その後、店はすぐ開いたけどwifiが使えなくなって、おれもあんまり行かなくなったし、客の数もどんどん減っているようだった。
ある日、ひさびさに覗いてみると、扉が閉まってて、
「あれ今日は休みか」
なんて思ってると、そのままその扉は2度と開くことなく、完全シャットダウン。
しばらくすると、そこがスーパーになった。冷やかしに入ってみると客が誰もいなくて、とりあえず品揃えを確かめるために店内を一周するおれに、ひまな店員が後ろからくっついてきて、しかし結局両者とも一言も言葉を発すること無く無事に店内一周を終え、おれは水だけ買って帰った。たぶんこのスーパーもそのうち潰れるだろう。
とまぁ、おれの住むVizagことビシャカパトナムは、街の隅々のちょっとした変化はありつつも、全体的に言えばあんまり変わらない感じで時が進んでる。もちろんこの街に何年も住む人にとっては、この街は確実に変わっているんだろうけど、たった2年で感じられる変化なんてのはたかがしれているんだろう。
この街に来てから2年経った。インドに来てからちょうど4年経った。
このブログもかなりの期間放置してしまった。去年の後半は村にいる時間が多くて、そしたら今年になって、すぐに年度末がきて、4月はそんなに忙しくなくて、5月、6月と忙しく過ごして、7月になり、特別忙しいわけでも、やることがないわけでもない、そんな日常を一日、一日と過ごしていくと、いつの間にか7月が半分終る、
と、7月14日だか15日にそんなことを書いていたけど、その日は飲みに出たから途中で書くのやめて、気付けばもう7月も終る。
インドでの日々もあと一ケ月。
あと半年あたりから少しずつ『もうすぐ帰る』ってのを意識するようになって、『4か月』、『3か月ちょっと』『2か月半』と言っているうちに、いつのまにか、『一ケ月』を切ってしまった。きっとこの感じが、今度は、3週間、2週間、と続いて、10日、9日、、、、となっていくんだろう。
仕事っていうのはおもしろいもんで、学校が終ってもしばらくグダグダと過ごせる学生ビザと違って(学生ビザは5月に試験が終わったあとでも、しばらく滞在出来ることが多い)、おれの持ってるビザは8月27日に切れる。まぁ、ビザの種類によって条件は違うだろうけど、おれの場合はこれで終わり。
5月に日本に一時帰国してビザを更新して、8月27日という有効期限を見たとき、『ほんとに帰るんだなぁ』と、そんな気がした。8月31日までのつもりで申請したから、たった4日なのに、なんだかちょっと寂しい気持ちになった。
インドにやってきたのは2011年7月。
4年という月日はそれなりに長い。大学のとき、東京に住んでた時間より長い。石の上にも三年よりも長い。
大学を出て間もなく始まった、華麗なるカレー留学生活が、いつのまにか加齢なるカレー社会人生活になり、そろそろ華麗なるフィナーレを迎える。人生は甘くない、まさに寅さん状態のインド生活も最終ステージ(まぁ、おれのカレーライフはかなりボンカレーだったと思うけど)。
ほんとはそういうインドは辛いよ的なことをブログで書くべきだったと思うけど、結局それもグダってしまった。だから今更こういうの書いてもしょうがないんだけど、でもまぁ、インド人の、いくら待っても来ないけど、呼んでないのに来る的な、もうそういう感じとりあえず書き綴ってみた(誰も待ってないか)。
ビシャカパトナムでの日々もあと一ケ月。変わらない日常、まだおれはインドにいる。
久し振りのブログでこういう政治的なことを書くのもどうかと思うけど、今回は書くって決めた。
おれのインドでの一番の友達は、パレスチナ人。友達というか、まぁ兄貴みたいなもん。
おれがインドに来てから今まで、一番世話になってる。
彼は博士号を取得するためにハイデラバードに留学している。家族はみなガザにいる。いま、日本では博士号とかいろいろ問題あるし、インドでもいろいろ問題あるけど、彼はしっかり頑張ってる。彼は、修士号取得時にうちの大学院で留学生として初めて、学科で成績が一番の人に送られる金メダルを受賞した人物でもある。
おれがハイデラバードを去ってからも、だいたい毎週話してる。彼はきっと寂しがり屋で、話を聞いてほしいときは鬼電がくる。「あんたはおれの彼女か?笑」と煩わしくなることもあるけど、しばらくすると結局おれは電話をとって話始める。いや、時々聞いてほしい話があるのはおれも同じだから。
そんな兄貴から今日「イスラエルの攻撃で友達の家族が殺された」とメッセがきた。
なんと言っていいかわからなかった。ただ、話を聞くことしか出来なかった。
話を聞いても、彼はガザの話はしない。いつも通り、自分らの近況を話すだけだ。でも、結局は、ガザの話になった。
「この夜が静かに終わることを祈るしかできない。」
「明日になったら、何が起こったかわかる。」
と彼は悲しげにそういった。
おれは「一人の人間ではどうしようもできないことが、本当に残念だと」そういう風に言った。
そしたら
「それでいいんだよ。ただ、世界中の人に、いま起きていることを知ってほしい。」
と彼はそう言った。だから、おれはここに書いた。このブログを見た誰か一人でも、パレスチナのことを知ろうとする人がいてくれればと思って。
※注意書き
1.イスラエル人が悪、ではなくて、戦争とそれを仕組む勢力が悪であって、彼もイスラエル人個人を責めたりは絶対にしません。
2.博士なんかとらなくても家族と一緒に住めばいいとか、家族をインドに連れてくればいいとか、そういうことを考えられるのは、特別な専門知識を必要としなくても仕事が十分ある日本に住んでるからであって、日本国発行のパスポートを持ってるからできる発想だと、彼と話していると気づかされます。
おれのインドでの一番の友達は、パレスチナ人。友達というか、まぁ兄貴みたいなもん。
おれがインドに来てから今まで、一番世話になってる。
彼は博士号を取得するためにハイデラバードに留学している。家族はみなガザにいる。いま、日本では博士号とかいろいろ問題あるし、インドでもいろいろ問題あるけど、彼はしっかり頑張ってる。彼は、修士号取得時にうちの大学院で留学生として初めて、学科で成績が一番の人に送られる金メダルを受賞した人物でもある。
おれがハイデラバードを去ってからも、だいたい毎週話してる。彼はきっと寂しがり屋で、話を聞いてほしいときは鬼電がくる。「あんたはおれの彼女か?笑」と煩わしくなることもあるけど、しばらくすると結局おれは電話をとって話始める。いや、時々聞いてほしい話があるのはおれも同じだから。
そんな兄貴から今日「イスラエルの攻撃で友達の家族が殺された」とメッセがきた。
なんと言っていいかわからなかった。ただ、話を聞くことしか出来なかった。
話を聞いても、彼はガザの話はしない。いつも通り、自分らの近況を話すだけだ。でも、結局は、ガザの話になった。
「この夜が静かに終わることを祈るしかできない。」
「明日になったら、何が起こったかわかる。」
と彼は悲しげにそういった。
おれは「一人の人間ではどうしようもできないことが、本当に残念だと」そういう風に言った。
そしたら
「それでいいんだよ。ただ、世界中の人に、いま起きていることを知ってほしい。」
と彼はそう言った。だから、おれはここに書いた。このブログを見た誰か一人でも、パレスチナのことを知ろうとする人がいてくれればと思って。
※注意書き
1.イスラエル人が悪、ではなくて、戦争とそれを仕組む勢力が悪であって、彼もイスラエル人個人を責めたりは絶対にしません。
2.博士なんかとらなくても家族と一緒に住めばいいとか、家族をインドに連れてくればいいとか、そういうことを考えられるのは、特別な専門知識を必要としなくても仕事が十分ある日本に住んでるからであって、日本国発行のパスポートを持ってるからできる発想だと、彼と話していると気づかされます。
ほとんどVisakhapatnam(=Vizag=おれが住んでる街の名前)についての記事はないというか、ほとんどブログ更新していないという。
でも一応定期的にはアメブロにはログインしてるんだけど、最近アクセス数が一日100近くある日とかあって、実はさりげなく嬉しかったりします。いや、他のブログは知らないけど、このブログの場合、アクセス数100というのは、いままでだと記事をアップした次の日とかのアクセス数だったので、ほとんど記事をアップしてないのにこのアクセス数はおれの中ではすごいんです。
まぁ、チェキってくれてる人は知り合いか、インド留学に興味がある人のどっちかだと思うんだけど、とりあえずDear my people、おれは元気にやってます。
それから、インド留学にリアルに興味があってたまたまこのブログ見つけて読んでくれてる人がいたら、おれはすごい勢いで応援してます。
あとインドに限らず留学に興味があるって人も、留学じゃないけどインドに興味があるって人もとりあえず行ってみてください。
まぁ、仕事としてはビシャカパトナムとそっから200キロくらい離れた村を行き来しているわけだけど、このブログのタイトルをWhat's up?とか言ってしまってるし、おれもたまには調子にのって Yo what's up Vizag?とか言ってみたいので、この街でWhat's upな感じの何かを探していた。ビシャカパトナムは結構大きな港町で、外資のホテルもあるからそこにいけば一応ちゃんとした洋食が食えたり、飲めるところもある。ただ、ホテル以外だとゆっくり飲める場所とか、音楽が聞ける場所とかはほとんど見ない。しかも、こういうちゃんとしたホテルだとWhat's up?というかGood evening,Sirみたいになっちゃうので、ちょっとなんか若者オーラがない(と言いつつピザを食うためにヘビロテしてる、、、)
なので、おれはビシャカパトナムの情報誌"Yo Vizg"(Tokyo Walker的な)を眺めつつ、Vizagでシャレオツなバルや、ぱーりぴーぽが集う場所がないか探していた。
しかし、毎月たった見開き1ページのYo Vizagのパーティ情報は、おれに一つの確信を与えてくれるだけだった。とりあえずおれが一人でこれらの場所に乗り込んだら確実にI feel マジAway感だということ。
そして、Yo Vizagを読んでもう一つわかったことは、おそらくこの街のバーやクラブはホテルについてるものしかないだろうということ。つまり、よく行く近所のホテルにあるものと大差はないのだ。
そう思って諦めかけていたある日、ハイデラバード(前に住んでた街)にいる友人と、その友人の新しく出来た彼女を交えてのスカイプというちょっとよくわからないスカイプ会議が発生した。ただ、その友人の彼女はDJだった。
そのDJは、「ビシャカパトナムだったらU gatta go to Chrome」みたいなことを言っていた。
調べてみるとChromeは家から結構近いところにあった。(3,4キロくらい)
「これは、めっちゃ近いからgonna check it out」
週末を待ち、新進気鋭のDJからもビシャカパトナムで最高のクラブという評価の Chromeに向かう。
おれは、少し緊張していた。道で拾ったオート(ミニタクシー)のおっちゃんにChromeと言うと、一発でわかった。「このおっさんが知っているということは、毎週かなりのぴーぽぴーぽで賑わっているに違いない」夜の風が妙に心地よかった。
Chrome前に着きおっさんにお金を渡した。オートドライバーはそっけない人が多いが、このおっさんはかすかに笑顔を見せた。「楽しんでこいよ」と言ってくれた修学旅行の京都廻りの、タクシーのおっさんの笑顔に似たものがあった。
Chromeは8階立てくらいのビルの中にあった。颯爽とエレベーターに乗ったおれは、Chromeが何階にあるかを確認し忘れたので、とりあえず全部の階のボタンを押した。エレベーターにはおれ一人だった。
手動エレベーターのドアをいちいち開き、2階、3階、4階と進む。5階、そして6階、目に映る警備員の横顔、高まる鼓動、響き渡る音。
「ここだ」
エレベーターを降りる。このビルの荒びれた感じがリアルを臭わす。これが外資系ホテルでは味わうことの出来ないローコー。
「Good evening, サー」
警備員が扉を開いた。
What's up Vizang?な夜はすぐそこまでやってきていた。
そして、おれはこのビシャカパトナムでの新たな一歩を踏み出した。
1、2、、、
3人のおっさんと、おれ(4人目)
と店員(のようなヤツも含む)6名
とDJ(1名)
合計11名(収容人数200名(推定))
それはまさにホワッツアップを超えて、完全にホワットハプンド?な光景だった。
確かに、よく考えれば、元々特別なオンリーワンは既にナンバーワンなのだ。
花屋の店先に並んでしまえば、枯れた花でもナンバーワンなのだ。
しかも客より店員の数の方が多いという、まさに深夜のコンビニ時々あるある。
オッサン1は、よく日本でも見かけるサラリーマンの哀愁を漂わせながら、微妙に店員に絡みつつテレビを見ながら酒を嗜んでいる。
そして、もうオッサン2と3は何やら楽しそうに飲み食いしている。
そして、オッサン4はとりあえず6人がけの席に座った。
店員がやってくる。
オッサン4「ビールで」
店員「何のビールにしますか?」
オッサン4「何があるんですか?」
店員「キングフィッシャーがあります」
オッサン4「他には?」
店員「いまキングフィッシャーだけです」
オッサン4「じゃあキングフィッシャーで」
という2フレーズ目以降全く意味のない注文のやりとりをしてビールを頼む。
あれほどまでの期待をもってここにやってきてしまったおれは、無性に恥ずかしさがこみ上げてきた。本日の痛いヤーツ選手権優勝だけは避けなければならないと思った。
そして、外の看板を見てレストランだと思って間違えてやってきてしまった外人を装う作戦を決行した。(看板にはGrillとも書いてある)
オ4「何か食べるものはある?」
店員がメニューを持ってきた。
その中に、一縷の望みが見えた。。。
マトンバーガー。
(よし、今日はクラブに来たということをやめて、マトンバーガーを食いながら飲みにきたことにしよう)
おれの怒りも、悲しみも、切なさも、この恥ずかしささえ全てかき消してくれる。ハンバーガーとビールはいつだっておれの味方だ。マトンバーガー、君に決めた。
オ4「マトンバーガー!!」
店員「マトンイズノットアヴェイラブル、サー(マトンは無いです、サー)」
おい、オメーの店は何屋だ?
おれは、何しに来た?
これは、誰のせいだ?
これは、おれのせいか?
いや、これは、おれのせいか。
いや、これは、おれのせいだ。
いや、、、、オメーのせいだろ、この嘘ハッピャクラブ
という怒りの矛先を誰に向ければ良いすらもわからず、おれは一人静かにチキングリルを注文した。
(てか、元々あのDJのせいだろ、この過度な期待は)
チキンは美味くも不味くもなかった。
というかただのチキンだった。
あまりに量が少なかったので、おれは追加でチーズポテトを頼んだ。
確かに少しだけチーズの味がしたような気がした。
こうして、ワッツアップなVizagの夜が終わった。
でも一応定期的にはアメブロにはログインしてるんだけど、最近アクセス数が一日100近くある日とかあって、実はさりげなく嬉しかったりします。いや、他のブログは知らないけど、このブログの場合、アクセス数100というのは、いままでだと記事をアップした次の日とかのアクセス数だったので、ほとんど記事をアップしてないのにこのアクセス数はおれの中ではすごいんです。
まぁ、チェキってくれてる人は知り合いか、インド留学に興味がある人のどっちかだと思うんだけど、とりあえずDear my people、おれは元気にやってます。
それから、インド留学にリアルに興味があってたまたまこのブログ見つけて読んでくれてる人がいたら、おれはすごい勢いで応援してます。
あとインドに限らず留学に興味があるって人も、留学じゃないけどインドに興味があるって人もとりあえず行ってみてください。
まぁ、仕事としてはビシャカパトナムとそっから200キロくらい離れた村を行き来しているわけだけど、このブログのタイトルをWhat's up?とか言ってしまってるし、おれもたまには調子にのって Yo what's up Vizag?とか言ってみたいので、この街でWhat's upな感じの何かを探していた。ビシャカパトナムは結構大きな港町で、外資のホテルもあるからそこにいけば一応ちゃんとした洋食が食えたり、飲めるところもある。ただ、ホテル以外だとゆっくり飲める場所とか、音楽が聞ける場所とかはほとんど見ない。しかも、こういうちゃんとしたホテルだとWhat's up?というかGood evening,Sirみたいになっちゃうので、ちょっとなんか若者オーラがない(と言いつつピザを食うためにヘビロテしてる、、、)
なので、おれはビシャカパトナムの情報誌"Yo Vizg"(Tokyo Walker的な)を眺めつつ、Vizagでシャレオツなバルや、ぱーりぴーぽが集う場所がないか探していた。
しかし、毎月たった見開き1ページのYo Vizagのパーティ情報は、おれに一つの確信を与えてくれるだけだった。とりあえずおれが一人でこれらの場所に乗り込んだら確実にI feel マジAway感だということ。
そして、Yo Vizagを読んでもう一つわかったことは、おそらくこの街のバーやクラブはホテルについてるものしかないだろうということ。つまり、よく行く近所のホテルにあるものと大差はないのだ。
そう思って諦めかけていたある日、ハイデラバード(前に住んでた街)にいる友人と、その友人の新しく出来た彼女を交えてのスカイプというちょっとよくわからないスカイプ会議が発生した。ただ、その友人の彼女はDJだった。
そのDJは、「ビシャカパトナムだったらU gatta go to Chrome」みたいなことを言っていた。
調べてみるとChromeは家から結構近いところにあった。(3,4キロくらい)
「これは、めっちゃ近いからgonna check it out」
週末を待ち、新進気鋭のDJからもビシャカパトナムで最高のクラブという評価の Chromeに向かう。
おれは、少し緊張していた。道で拾ったオート(ミニタクシー)のおっちゃんにChromeと言うと、一発でわかった。「このおっさんが知っているということは、毎週かなりのぴーぽぴーぽで賑わっているに違いない」夜の風が妙に心地よかった。
Chrome前に着きおっさんにお金を渡した。オートドライバーはそっけない人が多いが、このおっさんはかすかに笑顔を見せた。「楽しんでこいよ」と言ってくれた修学旅行の京都廻りの、タクシーのおっさんの笑顔に似たものがあった。
Chromeは8階立てくらいのビルの中にあった。颯爽とエレベーターに乗ったおれは、Chromeが何階にあるかを確認し忘れたので、とりあえず全部の階のボタンを押した。エレベーターにはおれ一人だった。
手動エレベーターのドアをいちいち開き、2階、3階、4階と進む。5階、そして6階、目に映る警備員の横顔、高まる鼓動、響き渡る音。
「ここだ」
エレベーターを降りる。このビルの荒びれた感じがリアルを臭わす。これが外資系ホテルでは味わうことの出来ないローコー。
「Good evening, サー」
警備員が扉を開いた。
What's up Vizang?な夜はすぐそこまでやってきていた。
そして、おれはこのビシャカパトナムでの新たな一歩を踏み出した。
1、2、、、
3人のおっさんと、おれ(4人目)
と店員(のようなヤツも含む)6名
とDJ(1名)
合計11名(収容人数200名(推定))
それはまさにホワッツアップを超えて、完全にホワットハプンド?な光景だった。
確かに、よく考えれば、元々特別なオンリーワンは既にナンバーワンなのだ。
花屋の店先に並んでしまえば、枯れた花でもナンバーワンなのだ。
しかも客より店員の数の方が多いという、まさに深夜のコンビニ時々あるある。
オッサン1は、よく日本でも見かけるサラリーマンの哀愁を漂わせながら、微妙に店員に絡みつつテレビを見ながら酒を嗜んでいる。
そして、もうオッサン2と3は何やら楽しそうに飲み食いしている。
そして、オッサン4はとりあえず6人がけの席に座った。
店員がやってくる。
オッサン4「ビールで」
店員「何のビールにしますか?」
オッサン4「何があるんですか?」
店員「キングフィッシャーがあります」
オッサン4「他には?」
店員「いまキングフィッシャーだけです」
オッサン4「じゃあキングフィッシャーで」
という2フレーズ目以降全く意味のない注文のやりとりをしてビールを頼む。
あれほどまでの期待をもってここにやってきてしまったおれは、無性に恥ずかしさがこみ上げてきた。本日の痛いヤーツ選手権優勝だけは避けなければならないと思った。
そして、外の看板を見てレストランだと思って間違えてやってきてしまった外人を装う作戦を決行した。(看板にはGrillとも書いてある)
オ4「何か食べるものはある?」
店員がメニューを持ってきた。
その中に、一縷の望みが見えた。。。
マトンバーガー。
(よし、今日はクラブに来たということをやめて、マトンバーガーを食いながら飲みにきたことにしよう)
おれの怒りも、悲しみも、切なさも、この恥ずかしささえ全てかき消してくれる。ハンバーガーとビールはいつだっておれの味方だ。マトンバーガー、君に決めた。
オ4「マトンバーガー!!」
店員「マトンイズノットアヴェイラブル、サー(マトンは無いです、サー)」
おい、オメーの店は何屋だ?
おれは、何しに来た?
これは、誰のせいだ?
これは、おれのせいか?
いや、これは、おれのせいか。
いや、これは、おれのせいだ。
いや、、、、オメーのせいだろ、この嘘ハッピャクラブ
という怒りの矛先を誰に向ければ良いすらもわからず、おれは一人静かにチキングリルを注文した。
(てか、元々あのDJのせいだろ、この過度な期待は)
チキンは美味くも不味くもなかった。
というかただのチキンだった。
あまりに量が少なかったので、おれは追加でチーズポテトを頼んだ。
確かに少しだけチーズの味がしたような気がした。
こうして、ワッツアップなVizagの夜が終わった。