「戦後民主主義の偶像」視されてきた原節子ですが、戦後、彼女が映画で演じた役の「進歩的思想傾向は彼女自身とは関係のないもののようである」と映画評論家の佐藤忠男さんが、前出の「原節子の魅力」で記述しています。
「彼女は義兄の熊谷久虎監督の影響下にあり、熊谷監督は右翼的な人だったからだ」(同)。
原節子のお姉さんが熊谷監督の奥さんでした。熊谷監督が原節子に与えた影響について、今井正監督は次のような興味深いエピソードを語っています。以下は、前項引用文の続きです。
<今でもよく覚えているけど、宿に着いた晩、原節子がやってきて、今井さん、これ兄(熊谷監督)からですって封筒を差し出すんです。その手紙には、日本は全勢力を挙げて南方諸国に領土を確保しなければならない。その時に日本国民の目を北方にそらそうと目論んでいるのはユダヤ人の陰謀だ、この「望楼の決死隊」は日本国民を撹乱しようとするユダヤの陰謀だから、即刻中止されたいというようなことが書いてあった。>
<熊谷さんは日活で「情熱の詩人啄木」を撮りました。いいシャシンでしたね、東宝へきて「阿部一族」、これもよかった。僕はほんとに感激したけどね、そのころからだんだんおかしくなって、すめら塾っていう極右団体に入って、かなりえらいところまで行ったんじゃないの。だから、その影響で原節子までユダヤ人謀略説をとなえるありさまだった。>
これは、意外な事実です。今井監督は、「ユダヤ人陰謀説」をめぐる原節子との詳しいやり取り(彼女がどう語ったか)については明らかにしていませんが、実像の原節子が「ユダヤ人謀略説をとなえるありさまだった」というのは、かなり衝撃的ですね。