「青燕」、熱海に朴敬元の記念碑 | 「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

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下川正晴(大分県立芸術文化短大教授、shimokawa502@gmail.com 携帯電話090-9796-1720、元毎日新聞論説委員、ソウル支局長)。日韓次世代映画祭は2008年開始。「大分まちなかTV」は、学生と商店街のコラボ放送局です。

第3回日韓次世代交流映画祭映画「青燕」(2005)のモデルになった朴敬元は、昭和8年(1933)8月7日、東京から満州の新京(現・長春)までの横断飛行に挑みました。

しかし、午前10時35分に離陸してから50分位経ったころ、彼女が搭乗した「青燕号」は静岡県多賀村(現熱海市)の玄ヶ獄山付近で墜落し、彼女は死亡しました。








第3回日韓次世代交流映画祭熱海市が市制施行60周年記念で製作した『熱海歴史年表』の記述によると、

<昭和8年8月8日の朝、多賀村の人々は快晴の玄岳山頂付近に光るものを見つけた。すぐ、前日東京飛行場を発った飛行機ではないか、ということになり警鐘が鳴らされた>

第3回日韓次世代交流映画祭<小松勇次村長の指揮の下、消防団、青年団に網代からの応援も加わり現場にたどり着くと、操縦席でハンドルを握ったまま、朴敬元は息絶えていた。腕時計は11時25分30秒を指し、愛用のハンドバックには拓務大臣(永井柳太郎)などから「満州国」へ託された3通のメッセージが入っていた。>

<朴敬元の遺体は村の火葬場で荼毘(だび)に付され、機体は多賀小学校に寄付されました。>

朴敬元1周忌の際、当時の多賀村長・西島弘さんが、私費で「鳥人霊誌」という題字の慰霊碑を建て、また、日本飛行機学校の彼女の後輩たちによる追善飛行が行われ、墜落地点辺りに花束がまかれたそうです。

写真は、神奈川県熱海市梅園町にある熱海梅園の中にある記念碑です。平成14年(2002)に造られた韓国庭園の一隅に、日本語と韓国語で書かれた「朴飛行士記念碑」があります。(写真をクリックすると、写真が拡大します。碑文も読める程度に大きくなります)

第3回日韓次世代交流映画祭
記念碑には、<朴敬元女史 1901年 慶尚北道大邱府に生まれる。1925年 日本飛行学校に入学。韓国初の女性飛行士として二等操縦士免許を取る。飛行機は単発小型機で『青燕号』と命名された>

<1961年春には地元町内会の手で、朴敬元嬢遭難慰霊碑が建立されました。地元の人々は、夢半ばにして破れた朴敬元女史の心安らかなる事を願い、毎年定期的に墜落現場での草刈や慰霊碑の保全を行うなど、大切に護持しています>

などと書かれています。したがって、慰霊碑は都合3回に渡って建立されたということになります。

第3回日韓次世代交流映画祭200年9月、熱海で開かれた日韓首脳会談(森首相&金大中大統領)の際、この記念碑の存在に関する言及があり、その後、韓国庭園が造成された際に、熱海市長の署名がある記念碑が出来たといういきさつがあるようです。

碑の刻字は、森総理大臣と金大統領の直筆だそうですが、写真では確認できません。(熱海市観光協会のHP記述による)

(以上、ネット記事「歴史~とはずがたり」などの記述をもとに、写真ともども再編集しました。)