![第3回日韓次世代交流映画祭](https://stat.ameba.jp/user_images/20100108/08/jk-nextfilm/b0/35/j/t02000453_0200045310368470731.jpg?caw=800)
しかし、午前10時35分に離陸してから50分位経ったころ、彼女が搭乗した「青燕号」は静岡県多賀村(現熱海市)の玄ヶ獄山付近で墜落し、彼女は死亡しました。
![第3回日韓次世代交流映画祭](https://stat.ameba.jp/user_images/20100108/08/jk-nextfilm/4c/89/j/t02000210_0200021010368470660.jpg?caw=800)
<昭和8年8月8日の朝、多賀村の人々は快晴の玄岳山頂付近に光るものを見つけた。すぐ、前日東京飛行場を発った飛行機ではないか、ということになり警鐘が鳴らされた>
![第3回日韓次世代交流映画祭](https://stat.ameba.jp/user_images/20100108/08/jk-nextfilm/3b/aa/j/t02200147_0581038710368470658.jpg?caw=800)
<朴敬元の遺体は村の火葬場で荼毘(だび)に付され、機体は多賀小学校に寄付されました。>
朴敬元1周忌の際、当時の多賀村長・西島弘さんが、私費で「鳥人霊誌」という題字の慰霊碑を建て、また、日本飛行機学校の彼女の後輩たちによる追善飛行が行われ、墜落地点辺りに花束がまかれたそうです。
写真は、神奈川県熱海市梅園町にある熱海梅園の中にある記念碑です。平成14年(2002)に造られた韓国庭園の一隅に、日本語と韓国語で書かれた「朴飛行士記念碑」があります。(写真をクリックすると、写真が拡大します。碑文も読める程度に大きくなります)
![第3回日韓次世代交流映画祭](https://stat.ameba.jp/user_images/20100108/08/jk-nextfilm/80/00/j/t02200146_0484032210368470659.jpg?caw=800)
記念碑には、<朴敬元女史 1901年 慶尚北道大邱府に生まれる。1925年 日本飛行学校に入学。韓国初の女性飛行士として二等操縦士免許を取る。飛行機は単発小型機で『青燕号』と命名された>
<1961年春には地元町内会の手で、朴敬元嬢遭難慰霊碑が建立されました。地元の人々は、夢半ばにして破れた朴敬元女史の心安らかなる事を願い、毎年定期的に墜落現場での草刈や慰霊碑の保全を行うなど、大切に護持しています>
などと書かれています。したがって、慰霊碑は都合3回に渡って建立されたということになります。
![第3回日韓次世代交流映画祭](https://stat.ameba.jp/user_images/20100108/09/jk-nextfilm/95/29/j/t02200165_0320024010368502146.jpg?caw=800)
碑の刻字は、森総理大臣と金大統領の直筆だそうですが、写真では確認できません。(熱海市観光協会のHP記述による)
(以上、ネット記事「歴史~とはずがたり」などの記述をもとに、写真ともども再編集しました。)