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1991年

初婚。バブル崩壊のこの年。結婚。バブル最後の出し物。結婚式には確か、300万円が掛かった。最終的には実質、150万円の費用となった。平成3年のこの年にはまだ、結婚式にそれだけの金を掛ける。バブルの残像が残っていた。

 

まあ、そんなことを思えるのも。あれから、33年という時間が経過したからだ。うさぎ

 

妙に、自分の人生と社会の出来事がリンクする。それに気づき始めたのも、あれから30余年が経っているからに他ならない。そんなゆとりも出て来た。それも、時の流れのお陰。

 

山田玲司が、『輪るピングドラム』を本動画内で “暫定1位!” と断言している。

 

 “生存戦略” 

 

確かに、一人一人の生き方に生存戦略がある。私の戦略と言えば、徹頭徹尾。社会から自分を隔離する!ことだった。何度も書いたが、この人生。社会とリンクしたことがない。常に、絶海の孤島に一人佇むような人生だ。

 

何故かと言えば、これも人生。終盤に至ったから分かる。自分の天国を何時も、胸の中に秘めていた。この一点。ここはどんなことがあっても譲らない。自分だけの天国がある。

 

何故だろう。この回の山田玲司のアニメ解析が

胸を打つ! それはきっと、

90年代の情景なんだ!と思う。

 

 

1995年

 

信州、安曇野。逃れた先で、松村サリン事件が起こる。丁度、信州へ移った年。まだ、入った年の私も。休憩室で、漠然とテレビが流す報道を見ていた。松本には、小一時間もあれば行ける距離。これも、何か奇妙な合致。

 

2007年

もう一つの境界線として、山田玲司が上げる年。2007年。この年、離婚。ここも、不思議な合致。2004年の事件から、3年が経った。この年、離婚。私の精神状態は一向に回復する気配はなかった。2度目の洗脳事件=2004年から。

 

リーマンショック前年である。

 

2008年

3年半の引き籠もり生活を経て。

代行稼業の年。2009年には二種免許を取った。その数年後。松本、花時計公園。仕事がまったくなくなった日があった。全13~14台の代行車。

その夜、突然。仕事がまったくなくなった。

 

薄々、感じた。もう、代行業も終わり。それでもそこから、都合12~13年。足掛け、13年ほど。最後の数年には、先輩の仕事を手伝った。1本、2本を月に数日。それも、今年。先輩が引き継いだ会社も、先輩の手で精算された。

 

 

2011年

90年代から続く最後の情景だ!と感じる。

東日本大震災。

 

この年で、私の情景の記憶も終わる。

 

一人部屋で寝転んでいて。大きな揺れを2度感じた。鈍い感覚の嫌な感じ。その後、前の会社関係の職人さんから代行の予約電話を受けて。東北地方がとんでもないことになってるのを知った。

 

2024年、現在。そこから又、13年が経過した。転職を繰り返す年数が始まったのだ。曲がりなりにも、代行の仕事は10年続いた。その後は日が経つにつれ。私の反抗の火はもう、状況・環境に対する忍耐力を失った。仲間、上司、オーナーと喧嘩をしては。不都合を起こしては辞めることを繰り返した。先輩には、

「お前は1年しか持たない!」とよく言われた。すべて1年で限界、我慢の限界が来た。

 

そして、今猫あたま

 

★★★

 

輪るピングドラム

 

何だろう。この回の山田玲司。何がイイのかよく分からない。何となく、自分の来し方。その道とリンクしている気がする。ところどころ、涙が滲む。

 

昭和30年代前半生の90年代の情景

が描かれていると思う。猫あたま

 

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「輪るピングドラム」とは何だったのか!?〜アニメ史を変えた傑作最大の謎に山田玲司が迫る、運命の“君ドラ”完結編スペシャル!!【山田玲司-181】

 

掲題:憶えている90年代の情景~ “生存戦略ー!” 『輪るピングドラム』

 

当該動画──

 

 

 “生存戦略ー!” ──