ユダヤ教徒

 

例えば、ユダヤ教徒の人たちは旧約聖書の最初の5巻ありますね。あれを大体、経典にしてんですよ。あの旧約聖書の最初の5部っていうですかね。そこが経典で、それに加えて後のそのユダヤ教徒の、偉い人たちが言った。口伝えのね。教え、こういうものをまとめて。所謂、トーラー。正に虎の巻なんですけども。トーラーって形にして、立法として。立法としてこれをしっかり守って、今日まで生きてんですね。正当派ユダヤ人とか超正当派ユダヤ人て言いますが。彼らは凄いですよね。政府に頼ることもなく、金に頼ることもなく。ただ、ひたすらこの神が与えたと言われる立法だけを守って。今日まで生き続いてんですね。すごい人たちだ!と思いますね。で、この立法というのは。戒律って言ってもいいですけども。

 

神との契約なんですね。

 

ですから、神との契約を破る!ってことが、最大の罪で。それをしたらやっぱり個人も滅ぼされるし、民族そのもの滅ぼされる可能性がある!わけですね。だから、絶対にこの神との契約を破ってはいけな!。従って、戒律を破ってはいけない!  こういう話になるわけですね。

 

実際にこれ読んでみると分かりますが、相当ストイックですよ。ユダヤ教の戒律はですね。相当、ストイックですね。今でも、超正当派ユダヤ人の生活とか見てるとね。極めてストイックでしょう。

 

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大祓い祝詞

 

 

で、日本はそれに対してね。日本はああいうストイックな生き方ってのは。もちろん、やってる人いますよね。お寺さんとかなんかでね。やってる人いますが、一般ではまずあまりなくてですね。

 

で、戒律破りも、あるようなないようなですね。そもそも、セックスに対してはものすごく日本は昔から、寛容ですよね。で、泥棒なんか、もちろん捕まえてね。首切られたりしますけども。

 

うん、法治国家であるようなないようなところが大きいんだよね、この国は。まあいい意味でも悪い意味でも、人がその時々で物事を判断していてですね。法律とか法令みたいのありましてもね。まあ、やっぱり「その人の判断の方がむしろ重きが多い!」っていう時が多いんですよ。

 

だから、人間として何をやってはいけないのか?という──根本的な何か経典があるようには全く、覚えないですね。覚えないですよ。一方、日本にはですね。祝詞がいくつもありましてですね。非常に古い祝詞も多いんですね。この非常に古い祝詞の中の1つに、神言という祝詞があるんです。神様の言葉。別の読み方を大祓の祝詞とも言います。中臣の祝詞ということもあります。中臣氏があげていたんでね。中臣の祝詞ということもあるし。6月と12月、夏越の祓い年越しの祓いという2 つの大祓いの時にあげる祝詞だから、大祓の祝詞ということもあります。名前なんでもいいんですけども。

 

その中に実は、ということが書いてあるんです。この神言と言われる祝詞の中に罪っていうことがしっかり書いてあって。大きく天津罪国津罪とがあるってことが書いてあるんです。これは実は、非常に重要なことだ!と私、思うんです。この罪の内容ってのは極めて興味深くて。

 

まず、国津罪というのはその人その子の。植物、自然、あらゆるものが本来、持っている能力の発揮を邪魔されること。これを国津罪というんです。例えば、川をやたらに堰き止めちゃったり。耕作ができるのにそこをなんかね、耕作しないで。なんかゴミ捨て場にしちゃったりとかですね。あるいは山を崩してね。自然の体型壊しちゃったとか。体に良くないもの食べちゃったとか。あるいは戦争によって人をねー。むやみに殺しちゃった!とか。こういうのは人や自然がね。本来、持っている能力を発揮しようとするのを邪魔することになりますね。

 

こういうの国津罪というんですよ。だから、一般に国津罪といった場合には対処療法的なんですね。これやっちゃいけないよ。あれやっちゃいけないよで、これをするな! あれをするな!ってことになってきますね。即ち、「これをするとこんな迷惑が生じる。これをすればこんな危険なことがある。これをするとみんな、なんかその元気なくなる」と。そういう時にですね。これするな!という風に、なんかその色々考えて。現実を見てまとめていけば、それ実際に国津罪になりますよね。

 

トランプたちがやってるのも実はあれ、ほとんど国津罪なんですよ。トランプ革命とか。今回のプーチンの革命で、彼らが倒そうとしてるのは国津罪を犯した人たちなんです。


即ち、ディープステートでね。各国民の生き血を吸っちゃったとかね。あるいはなんか戦争で殺しちゃったとか 。あるいはそのー、ウイルスとワクチンでね。人を殺傷したとかですね。こういうの全部、国津罪なんですよ。

 

あとマネーもそうですね。マネーで人を奴隷にしたとかですね。マネーで人の家をねー。奪ったとかね。こういうのも全部、国津罪ですね。だから、国津罪には必ず、敵がこういる!んですよ。敵が見えてきて、「この敵と戦え!」っていうことは言いやすい話でね。誰が悪いことしたからこれをね。「排除する!」という話はすぐできるわけですね。この辺りは国津罪なんです。

 

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天津罪

 

で、もう1つは天津罪と言います。天津罪と言った場合にはですね。これはあのー、本来、持っている能力を発揮させない!こと。これを天津罪というんです。即ち、邪魔して能力の発現を邪魔するんじゃなくて。何もしない!ことが、罪。これが天津罪と言ってもいいんじゃないでしょうか。

 

だから、ある土地があってね。この土地をしっかり耕して。うーん、なんか苗でも植えればね。ちゃんと立派な畑になる!と。果物もできる!と。そして多くの人がね。そこで暮らすことができる。ところが、そういう土地を開発もしないでね。放ってあるとですね。人、住めないじゃないですか。本来、そこに人も住んでね。家族を営んで国を作って、栄えて。もっともっと幸せになれるはずが、幸せになれるチャンスすら生まれてこない。即ち、そこの土地開発して、その土地で食糧を作ることやらないから、人が住めないわけでしょ。その人の持ってる能力開発まで。あのー、妨げることになる。

 

あるいは天然資源ですね。天然資源せっかくあるのにそれを使わないでですね。放っておくということは、天然資源は使ってもらって初めて価値あるもんだから。その天然資源の価値を発揮させない!ってことなんでしょ。これが、いわゆる天津罪なんですよ。天津罪は言ってみれば、昔のチコちゃんのね。NHKのチコちゃんの番組みたいに、

ぼっーとして生きてることが罪なんですよ。一番分かりやすく言っちゃうと。ぼーっと何も考えない。何もしないで生きてることが天津罪ということなんですね。

 

従って、あの戒律破り云々じゃなくて。まず、言えることは、なんか能力の開発邪魔することしてませんか?と。国津罪に犯してませんか?と。ここは割と分かりやすいんだけども、一番大変なのは本来、自分は何をやればもっとうまくいくんだろう。本来、自分は何がもっとできるんだろう。この土地このものが、どのように開発すれば。もっともっと愛と善が振りまけるんだろう。

 

こういうことを考えて行動しないことが、天津罪なんですよ。だから、例えばね。「どっか遠隔地ではこんな素晴らしい医療がある。こんな素晴らしい機械がある。それを導入すれば、そこでもっとその人たちの幸せになるのに。分かってるのにあえて何もしない!」のは。これ、天津罪なんですね。せっかく便利な道具があって、それも人間が開発したもんですよね。自然の、あるいは発見であるもんですね。そうしたら、人類共有の財産なんだから。そういうものを使って、みんなもっと幸せになればいい!わけですね そういうことやらないのは天津罪なんですよ。

 

だから、天津罪と言った場合にはですね。本人たちが何の罪を犯してるか?

まず、分からない!ってところから始まるんですね。えっ! そんなことできると知らなかったよ。そんなうまい方法があると知らなかったよ。それが大体、天津罪が発覚した時の姿ですね。だから、なんて言うんでしょうか。壮大なスケールなんですよ。日本における罪というのは。

 

悪党たちを滅ぼす!とかね。いうことで、罪がなくなった!と思ったら、全くの間違いで。それは国津罪だけがなくなったことなんですよ。もう一つ、天津罪は厳然と残っちゃってるわけ。即ち、その悪を追放してね。厳しい法律を作ったと。いろんな社会に制約を設けて、悪は蔓延らないようにした!と。その結果、人々がますます、萎縮しちゃって、新しいことやらない。何か新しい、その開発もしない。これ自身が罪なんです。

 

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天変地異

 

 

そうすると、この今、申し上げたこの神事っていう祝詞にはですね。こういう罪が積もると、

お祓いの神が出動するって書いてあんです。お払いの神が出動して、次は完全なくなっちゃう!て書いてあんです。だから、その一つの典型が

天変地異です。

 

国津罪・天津罪を放っとくと。天変地異が起きて、それでそのー、みんな滅んじゃいますよ!と。ちゃんとお祓いに書いてある。そのお祓い祝詞。神事に書いてある。だから逆に、神事を奏上するということはお祓いを起こしてください!と、神様にお願いをしてるわけですね。まあ、それって言ってみれば。自分の罪を神様に、祓ってくれ!と言ってるようなもんですね。それが日本の哲学なんです。

 

従って日本ではですね。とりあえず今、決めた秩序を守ればいい!っていう話はどこにもないんです。今、せっかく立派な秩序があるんだから。これを壊さずに維持し続ければ、未来は幸せが続くだろう!と思ったら、それは全くの間違いなんです。何故かっていうと、ある一つの秩序を守ってそれを押し通すということは。それそのものが天津罪を犯してる可能性が非常に大きい!んです。

 

即ち、そんなことやってるとですね。もっと別の秩序でなければ栄えないものがあるかもしれない。もっと別の人間関係でなければ。もっと別の土地の使い方でなければ、栄えないものがあるかもしれない。おそらくあるでしょう。それを全部、放っておくわけですから。身分制の枠に入れたりですね。金の有る無しの枠に入れたり。学歴に有る無しの枠に入れたり。宗教・民族、もう枠の中に入れてですね。秩序を守り通そうとするでしょ。秩序を守り通そうとする!ことは。本来、その人たち、自然が持ってる能力の発揮をさせない!ってことでしょ。

 

ある人は乞食ではなくて、国王にした方がね。能力を発揮できるかもしれない。ある人にお金を渡せば、もっと素晴らしい経済運営できるかもしれない。でも、それやらせないわけでしょ。で、それもね。やりたいのを無理にやらせなければ、国津罪だけど。そもそも「そんなこと思ってない!」ってことあるわけですよ。「自分は平民に生まれたんだから。乞食に生まれたんだ。国王なんて全然、違うもんだ!と思うし。自分は金がないからね。金をどう使うのかと考えたこともない」。これが言わば、天津罪になってくんですよ。

 

そうするとですね。今みたいにですね。世界中、コンプライアンスだとか法令遵守だとか。今、やってるでしょう。そうすっと、間違いなく世界中の人や組織が麻痺しちゃってんですよ。コロナ疲れもそうだね。とにかくややこしいルールで、みんなくたびれてきちゃってんでしょ。これ、明らかに天津罪なんですよ、これ。そうするとですね。「身分制だ。貧富の格差だ。もう、コンプライアンスが。ルールが売りだ!」なんて言っちゃってんとですね。見事に天津罪が凄いから。これ、そのうちトンデモナイ天変地異が来ても、それは仕方ない!ってことになんでね。

 

で、実はこの “プーチン・トランプ革命” が当たる大きな壁が、世界の天津罪ではないか?と思うんですね。こう、ルール。こう、この辺の展開見てくるとですね。国津罪の方はいろんな人たち大事して。これは徹底的にね。あの、「なくしてる!」と思いますよ。悪党たちみんなね。その、世界中のね。拘置所に入れちゃって、「死ぬまで出さない!」ってことやったらね。

 

一応、これ、国津罪の方は止まる!でしょう。でも、なんかそれでみんな幸せになれる!みたいなことを結構、思ってる節があるんだよね。トランププーチンさあ。まあ、彼らだけじゃなくて、みんなそうなんだろうけども。

 

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最大の難関

 

天津罪ということについて、その哲学がないんじゃないか!と思うんですよ。天津罪という考え方がないように見える!んですよ、彼らにとって。そうすると、天津罪ってもんはないと。要するに、悪さえ滅ぼして。法と秩序を守ってさえおけば。あとは、みんな幸せになる!と──そういうことになってんだけど。実際には、本来の能力の開発をやらない限りさあ。何も生まれませんから。で、今度、そのー「外から金も来ない。外から人も来ない。外からなんか、新しいものが来ない!」ってことになると。いくら自分たちだけで待ってても、何も生まれませんよね。

 

「特別な発明家、たくさんいる」とも思えないし。まあ、やるとすれば。なんか昔ながらのね。「生き方見て、戻る!」みたいな感じ。で、そうなってくると。みんな、イライラがつのってきますよね。そうすっと、まあ、いつものパターンで。欧米世界だと “魔女狩り が始まるんですね。うーん、悲惨なんですよ。魔女狩りとかユダヤ人に対する迫害とかですね。出口のない不満がつのった時に、よく起きる出来事なんですね、あれね。昔からそうなんですよね。やっぱりそれ、何故、出口がないか?って言うと。天津罪の克服がないからなんですよ。

 

どんな人でもあらゆる可能性を帯びて、この世に生きてますからね。人だけじゃない。動物も植物も。それから鉱山も鉱石も。水も大気も。木も山も全部、そうですから。これ全てですね。「持ってる能力を最大限発揮させることができる」のが、本当に地上天国っていうもんですからね。本物の調和であり、地上天国でありまして。だから、それをやっぱりやらせないってことが罪なんだ!と。で、やらせないこともないんだけども。どうやってやったらいいのか?と。そもそもどんな能力をその人も、ものもね。どんな能力持ってるか?ってことについて、知識も経験もあまりないし。言われた作業だけやって、今日まで暮らしてましたと。

 

自分でなんか物の性質をね。見極めてそれを開発するとか。人の能力を見極めて、それを開発するとかいうことやってないとですね。それ、もろ天津罪じゃないですか。だから、まあ、今年、革命の一番ピーク!ですよね。悪を滅ぼすのはいい!と思いますよ。やりきる!と思うんですね。で、その後の引き続く混乱もですね。ある程度、それ沈めちゃう!と思います。しかし、それが全部、大体一段落した後ですね。

 

さあ、どうやって生きていくか?ですね。うん、そこがですね。最大の難関でありまして。私が、一番危惧するのは天津罪がある!ってことに。「あまり、みんな気がついていそうにない!」っていうことなんですよ。しかもですね。最近はとにかく、その法律だ。ルールだってことうるさいし。実際に、コンピューターなんかルール通りやらないと動かないでしょ。ええ、そういうことありましてですね。スマホだって、ルール通り動かさないと動きませんからね。ルールを守る!てことが、生きるために最大重要なことなんだ!と──いう風に思ってる人って結構、いるんですよね。でも、そのルールって、勝手に誰か作ったもんなんだから。それって時々、変わるべきもんなんですね。矛盾に満ちたものであることが、往々にしてあるわけですよ。

 

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義理と人情

 

 

そうするとですね。特に日本なんかの場合はですね。義理と人情っていうのが、法令の上にあるんですね。日本は法令は便宜的に使うもんでありまして。ですからね。江戸時代までですね。その式目と言われるですね。 “武士の心得帳” みたいなものだけで当時、やってたわけでしょ。十分なんですよ。

 

そもそも、江戸幕府なんてですね。役人ほとんどいない!ですよ、実はあれ。で、江戸幕府って、今のちょうど皇居で言えばですね。あの東御苑ですね。公園になってるとこ。東御苑のとこに本丸御殿がありましてね。あそこに、そのー、まあ将軍さん住んでて。で、家、後ろがですね。3つに区切られてて。奥が、将軍さんの個人的な、あのー住まいでしょ。で、その手前の方に役所があって。で、その役所とそれから将軍が出会う場所はね。ど真ん中にね。それだけの作りなんですよ。

 

だから、その非常に少ない人数で江戸幕府、運営してんですよ。あの御殿の半分以下のとこにね。人がなんか詰めてて、それで運営してんですね。今、大変でょ。まず議事堂があってですね。官邸があって、各省庁があってね。一体 どれだけの数の人が、中央政府に詰めて仕事してるかですね。いや、昔はだから。本当、わずかな人数で運営してんですよ、あれ。驚くべきことですよ。

 

だから逆にですね。明治維新になって、たくさん建物建てなきゃなんなかったんですよ。江戸城に入りきれないわけですよ。近代政府作りますとね。江戸城に入りきれませんから。あの、日比谷だとかね。丸の内とか。あの辺りにたくさん役所の建物作るわけですね。

 

で、じゃあ、日本はそんなややこしいね法律だとか、官僚制度。まあ、官僚制度みたいのはありますけども。この近国法治国家みたいなやる前は、どうやって生きてたの?っていうと。基本的には義理と人情ですね。で、世界の義理と人情ってのは結構、大事っていうか、かなり大事で。法律がしっかりしてない国って多いですからね。法令とかその執行がね。しっかりしてない国、とても多いですから。やっぱり義理人情で、みんな生きてんですよ。

 

ですから、これから世界って。うーん、戻るのは義理と人情なんだよね。でも、義理と人情はいいんだけども。今、その申し上げた哲学ですね。この哲学がしっかりしてないと。その道理たって変な道理になっちゃうのよ。人情も変な人情で、道義の方も変な道義になっちゃうのよ。なんかこの宗教のね。教えを守ろう!とすると。でも、それ守るんじゃなくて、一緒になんか新しいもの作った方がいい!ってことになるわけね。

 

人情っていうことについて言えばですよ。善悪のこともそうだね。善悪ねー。情の話になってきますけども。そもそも根本的な悪ってなくて。あくまでも汚れがたまったことが悪なんだから、お払いをすればいいよって言ったら。暗い話じゃなくて、

明るい話に変わっていくでしょう。こういうところが、果たしてできるのか?ってことですね。

 

で、日本なんかの場合ね。まあ、今の日本はちょっと異常でありますですね。まあ、とにかく義理人情が廃れに廃れちゃって。憲法を中心として、憲法頂点にいろんな法令によって、みんな動くようになっちゃって。義理、人情は関係ない!みたいにやってますから。これはダメです ね。だから、とにかく、今の日本っていうこと言うならばね。

義理と人情は

憲法の上にあるんだ!

という風に思ってないとだめですよ。義理と人情の上に憲法がある!と思ってると。これから多分、人と付き合えなくなるし、世界の中で生きていけなくなると思いますよ。これからも、世界も。法体系崩れてくから、溶けてくから。義理と人情しか、この後は頼りになりませんからね。

 

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世界の哲学

 

 

まあ、それは「常に忘れずにいてなきゃいけない!」んですが。まあ、それとは別にですね。うーん、世界の哲学ですな。私はこれがそのうち大問題になる!ような気がするんです。そして、やっぱり、日本のことを学びに来る可能性は多いにある!と思うんですよ。

 

日本古来の哲学。即ち、我々の、今の日本人がなかなか忘れてしまったような哲学ですね。今、申し上げたですね。うん、お祓いのこととかですね。その正反対のものがね。合わさって、新しいものが生まれるとか。

 

天津罪・国津罪って、普通の日本人あまり知らないですよね。今の日本人あまり知らなくて。直感で分かる部分あるかもしれませんけども。明示的にそういう哲学によって意思決定し、生活し仕事してる人ってあんまりいないですよね。うーん、義理と人情もあるようなないような感じになっちゃってるし。法令も、よくね。ほら、違反がね。長年に渡って横行して、見れば分かるように。法令あまり守れなくなっちゃったでしょ。

 

何一つとして、確たるものがないまま漂ってる日本人が非常に多いじゃないですか。だから、今の日本人見ても。なかなか、それ、何がいいものか?って多分、分からないと思うんですね。我々が忘れかけている本来の日本というものがある!はずなんですよ。ここに戻らなければいけないんですよね。

 

で、おそらく、それが世界を救う大きな財産になるんじゃないか!と思うんです。で、具体的にはだから、誰かがこういうの発掘してね。「こんなすごい哲学があるんだ!」と。「これが正しいことじゃないか!」と言う人たちたが出てくるとか。あるいは、なんかそれこそね。どっかから、太古の文献が出てきて。かつて、日本の哲学をした人たちが、こんな風に思ってたことが出てくるとか。あるいは何かのきっかけで、うん、彼ら自身がね。日本哲学と同じようなものを、まあ、こう見出してね。何らかの形で見出して、問題解決して。ああー、よく見たら昔から日本はこんな風にやってた!と思うとか。何らかのことが起きる!と思うんですね。

 

少なくとも、今のあの人たちの様子見てるとですね。この彼らの哲学では、この後の繁栄はなかなか手にすることが難しいように思うんですよ。天津罪を克服できない!と思うんです。あのやり方だと。あの哲学だと。で、天津罪を克服するためには。要するに、全ては善一つ!と。悪はお払いをしていきゃいいだけのことなんだ!と。対立したものからはまったく新しいものが生まれるんだ!と。で、細かな戒律にこだわってないで、むしろ天津罪を解消することに本気になれよ!と。これをしっかりと理解してもらって初めて、私は成功していくんじゃないか!と思うんですね。

 

大変なことのように思うんですね。

 

でも、まあ、それをいよいよ、やってかなきゃなんない時に来てる!ような気がするんです。ですから、まあ、とりあえず、トランプ・プーチン革命をやって。その後、どうするか?っていう時に。

いよいよ、

日本の時代

なんでしょうね。うん、それが日本の時代の一つの原型だ!と思いますね。

 

今、申し上げたことが。世界を救う!っていうことが。今の日本人が、ほとんど忘れかけている日本古来のまず、哲学ですね。それが世界を救うことになって。で、この哲学と共に伝わっていろんな技がありますね。微生物もそうだしね。それから様々な、まあ、奇跡的な武道みたいな奴ね。すごい武道とかあるでしょう。こういうのがやっぱり、世界を救う技になってくんでしょうね。

 

えー、まあ、そうやってですね。世界は改めて、新しい文明。新しい哲学への移行を始めるんじゃないかなー。それしない限りは、この後、世界は本格的な平和と繁栄なんてことはちょっと考えらないですね。もう、このまま放っといたらまた、 “魔女狩り” が始まっちゃってね。元の木阿弥みたいなことになりかねないですからね。まあ、いずれにしましてもですね。そういうことも考えながら生きてかないと。なかなか本格的な未来は作れないという状況だ!と思います。

 

まあ、今月もホントなんかいろいろあると思いますけどね。皆さん、頑張ってやってまりましょう。というところで、今日の藤原直哉のワールドレポート戦略解説。これで終りとさせていただきます。どうも、皆さん今月も。お元気で過ごしください。ありがとうございました。

 

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2024年3月藤原直哉のワールドレポート戦略解説【視聴フリー】

 

掲題:日本の国体の背骨を入れ直す!~「天津罪」という日本古来の哲学【前編】

 

当該動画──