難しくないんじゃない…

 

結局、答を提示するなら。

 

その答はやはり、

 

押田成人神父

J. クリシュナムルティ

──蛇足。難解さで言えば、この2つの叡智の右に出るものはない。

 

としか。私には言えない。

 

私の立ち位置、スタンスも何ら変わらない。

 

今までと同じ。

 

ただ、若干。時間が巻かれてるかな…

 

という感じはあるかな…
 

でも、結局。到達点に何ら、変更の余地なし!

 

本ブログの趣旨、進行に何ら問題なし!であります。

 

現実から離れることは出来ない。

 

若干、自分の体験を振り返るなら。

 

一言、もう少し具体的にしておこう、と思います。

 

★★★

 

田植えの素手の感覚

 

一度目の洗脳事件の時。

 

ある晩、どうしようもなく自己同一化出来なくなりました。

 

アイデンティファイ(identify)出来ない!

 

自分って何だ!

 

何が、何だか分からなくなって…

 

自分を把握出来ない。

 

藻掻いているうちに、

あの高森の最初の訪問。

一週間、手伝った田植えを思い出した。

 

 

総出の手植えです。

 

この時の手の感触を思い出した。

 

ああー、田植えの時。手で植えた稲──この手の感触が自分だ!

 

そう思えた。

 

自己同一化出来た瞬間。

 

★★★

 

栗のいがいが…

 

これも一度、記事にしたと思う。

 

高森の敷地内には栗が落ちていた。

 

最後、それまで全然。感じなかった痛みを足裏に感じた。

 

見ると、栗のいがいが…

 

痛い!と感じた。

 

 

ようやく、洗脳事件の表面上での騒ぎが収まる瞬間だった。

 

その後、自宅から逃げに逃げた、私は。

 

ようやく、高森を後に。東京練馬の自宅に、帰ることに抵抗をしなかった。

 

★★★

 

少なくても、思考じゃない!

 

よく、身体には人間の種としての起源。そのすべての記憶がある!と言われる。

 

反して、脳に蓄積された記憶のデータはあくまで、誕生~そこまで人生分までしかない。

 

記憶は曖昧…

 

最低限、私が言えるのは5感。

 

大切に思う。

 

思考の記憶は危急の時に何の助けにもならない。

 

5感を研ぎ澄ます。

 

果たして、その先に《神の声》があるはずである。

 

5感を鈍らせて、神の声と感じる、その声は。

 

神とは似ても似つかぬ顔で、あなたを覗き込んでいる。

 

最高の神秘は日常にこそある。

 

何の変哲もない、日常の一事、一事こそ。

 

正に、神秘なのだ。

 

ただし、そこに思考の介入する余地はない。