私の今のバイト仕事です。児童クラブの臨時職員。

 

5ヶ月ほど経ちました。更に、夏休みの1ヶ月もその中で体験しました。普段は放課後だけの預かりが、夏休み期間中だけ1日仕事(8時間勤務)になりました。学校がないので、子供たちは朝から来ます。親には長期の夏休みが当然ない!──2日に1回ぐらいの割合で8時間勤務しました。その結果、出て来た結論です。内容は子どもたちと、どう接するか? その現在の答です=Lesson 2。

 

少し、前段を置かないと。本題に入れません。少し話します。

 

まず、児童クラブとは何か?

 

正確には、児童館内にある児童クラブです。

 

ネットより適宜抜粋──

 

児童館とは何か?

●施設数

公営:2,488か所、民営:1,910か所(令和2年10月1日現在 厚生労働省『社会福祉施設等調査』)

●対象年齢=18歳未満。

概要=児童福祉法第40条に規定する児童厚生施設の1つで、地域において児童に健全な遊びを与えて、その健康を増進し、又は情操をゆたかにすることを目的とする児童福祉施設。

 

(放課後)児童クラブとは何か?

概要=放課後児童クラブとは、一般的に「学童保育」と呼ばれている施設で、法律上の名称は「放課後児童健全育成事業」となっています。主に共働き家庭等の小学生に遊びや生活の場を提供して、健全な育成を図る施設。※つまり、親が帰って来るまで子供を預かる施設。

●対象年齢=小学校1年生~6年生。

 

 序文:気づき多き日々

 

まあ、モチベーションが初めから無い!訳です。この仕事に就いたのは、もう1日中拘束されるのは耐えられない!と、判断したから。放課後の4~5時間なら何とかなるか。そんな程度の職業選択。ニコニコ花

 

それにしてもです。仕事に入って直ぐに気付いた。トンデモナク可哀想だな、と思った。トテツモナイ世代間のギャップがあった。

 

まあ、とにかく、示唆多き仕事です。社会の歪んだ姿の最先端がそこにあります。

 

まず、私の生まれた年。1959年です。昭和34年。高度経済成長期の日本です。

 

高度経済成長期(Wikipedia)──

日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党の第2次田中角栄内閣)までの約19年間である。この間には「神武景気」や「数量景気」、「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生した。

 

ただ、まだ私の生まれた年では一般庶民の生活水準は高くはなかった。例えば、私のアパートは大家さんのいる長屋。3畳一間。当然、便所は共用。風呂は銭湯に行っていた。流しだって、ホントに小さかった。話は逸れるが、私が一番幸せだった幼少期です。今も、そう感じますね。東京新宿の下町。近所全部が、長屋の住人、大家さんの家族、皆、一つの大きな家族のようだった。

 

 

 Part 1:頭で考える生き方

 

さて、本題。まず、可哀想だな。そう思うこと自体が、頭で考えていることですね。でも、これを払拭出来るまでに、5ヶ月を要した。それほど、私の幼少期の生活と今の小学生の生活は違っていた。

 

まず、私の生まれた頃の親は子供にあまり関わっていられなかった、と思う。それなりに貧しかった。それが一軒家に移ったのは小学校入学の時。当時は東京練馬と言えば、まだど田舎。大体、家の周囲の幹線道路だって舗装されてなかった。砂利道がせいぜい。

 

みるみる舗装されては行った。一番印象に残っているのは当時、側溝の水の中にメダカが泳いでた。今じゃ、安曇野だって考えられない。それが、私が小学校1年ぐらいには町の側溝にメダカが泳いでいた。そんな時代。そんな景色を覚えてる。

 

翻って、今。社会はおよそ進歩したという言葉から遠いよ。悲劇が深刻化した!と言いたい。

 

ちょっと、施設に来る子どもの生活を紹介します。

 

一番言いたいのは彼らに何の拘束もない、監視の目のない。空いた時間がまったく無い!ということ。自由な空間も、自由な時間もない。

 

朝、起きて、学校へ行く。大体、午後2時から3時に終わると、児童クラブへ来る。そこで、親が迎えに来るまで3~5時間待っている。学校にいる間は、学校の先生が子どもたちを見張ってる。児童クラブでは、私ども職員が見張る。それで、今度は家に帰る。親の保護環境下に戻る。

 

▲我が施設も写真と変わりない。こんな感じ。昼食時間ですね。

 

まだ、ある。この時間帯に塾とか、お稽古ごとが入る子どももいる。

 

まず、私には耐えられない! 一日中、誰か、大人の監視下だ。監視だけなら、まだいい! その間、「○○してはいけない! ○○しなさい!」の連続。およそ、耐えられない。

 

児童クラブからにして、そうである。私以外の先生(※先生と敬称が付く)は怒るのが仕事のようなモノだ。どうですか? 大人しくしていると思いますか? 彼らが……

 

自分の小学校時代と言えば、学校から帰ったら。まず、家の中に居ることはなかった。直ぐに、ランドセルを家に放り投げ、外に遊びに行った。外では近所の遊び仲間が待っている。日が暮れるまで泥だらけになって遊んだ。夕食の時間が来て、夜になって暗くなるから仕方なく帰って行ったようなもの。

 

あまりに違いませんか? 私などは前の奥さんとの間に子どもが居なかったから、60歳某かまで子どもと接したことがない。仕事でも、子どもと関わる仕事は今回が初めて。

 

ある意味、カルチャーショック。

 

 Part 2:体が拒絶する!

 

というわけで、私は彼らを犠牲者、被害者として扱った。勿論、この社会の被害者であり、犠牲者だ。つまり、自分の出来る最大限の敬意と尊重を以て、接したのである。

 

ところが、一方の彼らは私にどう関わって来るか?

 

トンデモナイ!

 

まず、敬称などは付けてくれない。5ヶ月経った今も、「阿部!」と呼び捨てだ。

 

一つ前置きを忘れた。一応、 “先生” という敬称が付く。

 

しかし、私にしても。何の先生か?と思う。何も、教えないし。何も教えてはいけない。宿題の時間が取られる。その間、学校の先生と教え方が違うといけない!ということで、原則教えてはいけない決まり。

 

ホントに何の先生ですか?

 

まあ、自分にしても先生なんて自覚なんか毛頭ない。

 

それでも、私の彼らへの同情が私の行動を制限した。まず、この5ヶ月。ほとんど怒ったことはない。3回ぐらいかな。流石に切れたことは3回あった。3回目に自己嫌悪に陥った。

 

大人げなく感じた。

 

自分の癖である。そこから、延々、自問自答した。

 

仕事に行くのが嫌になった。辛くなった。

 

流石に、毎日、毎日。阿部! 阿部!の呼び捨てには閉口する。それだけならまだしも。口を開けば、死ね!だの、死んでください!だの。バカ!とか。人を愚弄する言葉が後から、後から飛ん来る。

 

彼らの心の中も分かる。

 

周りの先生たちが、私を迷惑そうな目で見る。何で、先生は怒らないんですか?

 

はあっ! そんな問題ですか? 私としてはそんな風に感じる。

 

流石に、少しは世渡り上手になり、言葉には出さん。

 

多分、夏休み期間がなければ、私はまだずっと我慢し続けたと思う。

 

ところがである。夏休み。8時間勤務。これは堪えた。彼らは8時間、遊び続けられる。8時間、人を罵倒し続けることが出来る。更に、暑い。体を使う遊びも、2時間は付き合う。

 

流石に、臨界点に達した。

 

このままでは、辞めるしかない。

 

どうする?

 

ここまで来て。ようやく、転回が起こる。もう、体が限界。

 

頭で考えた理屈で、我慢を続けることが出来ない!

 

どうしたか?  切れた。

 

もう、犠牲者も、被害者もへったくれもない。

 

フザケンナ!である。

 

そっちがそうなら、こっちはこうだ!

 

最大限の敬意を払うのに、条件を付けた。

 

お前らが、俺を見下すなら。こっちもそうするまでだ、と。

 

まあ、過激な行動に出るわけじゃない。

 

私の場合、体が新しい局面に直ぐ、順応出来る。

 

自分に掛けていた制限を解いた。私はそうなると、自然に振る舞うことが出来る。

 

それは自分の知人・友人、家族、兄弟。先輩、後輩と接する時と同じ。相手の態度に応じるのみ。非礼な者に構っている時間はない!

 

ただ、児童クラブの子どもたちとは仕事だから、関係を断つわけにもいかない。

 

ただ、過剰な同情。思い入れは止めた。普通の生活で接する人間と同じように付き合う。

 

それが今の答。結論。

 

 結婚観、職業観

 

日本社会に長らく染みついた、二つの観念が崩れた。結婚観と、職業観である。

 

一度、結婚したら。一度、会社に入ったら……というアレである。

 

そんな悠長なことを言ってられる世の中じゃない。下手に我慢でもすれば、生命の危機に瀕する。

 

固く、岩盤のような固定観念が雲散霧消した。

 

つまりである。選択の自由である。

 

しかし、ふと、思った。結婚解消、会社を辞める。その時って、思考だろうか?と。

 

頭で考えて、止めてるんだろうか?

 

きっと、限界に達した時にその判断がある。

 

その限界って、頭で考えることを超えているんじゃないか?

 

私が、本ブログで言いたいのはこの一点のみです。

 

即ち、頭で考えて幸せになれますか?ってこと。

 

そういう意味じゃ、良い時代になった。ほぼ全員、漏れなく、結婚した人間に、仕事に就いた人間に思考を超える機会が与えられている。

 

そういう意味じゃ、私は勝手にこう考えていたが、それは少々、変更が必要だ。

 

信仰の暗夜は時によって、個人を超える広がりを見せる。

 

時代が混乱する時。世界が闇に覆われる時。

 

神の縁(よすが)が与えられる。

 

闇への招き。

 

信仰の暗夜が全地球。全世界。全人類に与えられる時代。

 

昨年、11月にブログを立ち上げた時には、 “思考を超える” というテーマには触れられない!か、と思っていた。しかし、今、大多数の人間が判断を迫られる。

 

本当に、そんな生き方でいいんですか?

 

それは理屈じゃないですか?

 

本当のあなたはどう感じていますか?

 

その切迫感は限界まで、大きくなることはあっても。

 

ここから先、小さくなることはない。

 

 

★★★

 

追伸──

 

児童クラブに来る子どもの割合。大体、学年の半数近くというのが、私の施設。

 

年々、多くなっている。子どもの数は減る一方なのに。児童クラブで過ごす子どもの割合は増える。他にも、仰天するデータがあるが、それは又。

 

追伸②──

 

権威ということ。学校の先生には権威があります。

 

親という権威もある。

 

じゃあ、児童クラブの先生と言われる、私の権威って何ですか?

 

何が言いたいか、お分かりになりますよね。泣くうさぎ飛び出すハート

 

追伸③──

 

小学生の彼らに必要なのは、自分が小学校時代に持っていた。時間と、空間だ。大人の監視がない。子どもだけの世界。外から与えられる何のルールもない時間。

 

彼らは、その中から学ぶ。これは確かである。