教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代、武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。


先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」
若狭氏「誰が食べたのですか?」
先生 「支配階級の武士や大名だ」
若狭氏「何パーセントぐらいいたのですか・・・武士たちは」
先生 「6%くらいかな・・・」
若狭氏「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」
先生 「なにを?」
若狭氏「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないでしょう」
先生 「理屈を言うな・・・」


 私も子供のころ武士や大名など支配階級によって農民は苦しめられたというようなことを教えられました。ネットなどみていますと、「武士は農民を生かさず殺さず」というような話が載っていたのを見たことがあります。これは西洋の貴族の話で、武士も同じだと教えられたのでしょう。おそらくこの「ウソ」は戦後に作られたものだと思います。

 歴史学者の磯田道史氏が加賀百万石の会計係という大藩のエリートの猪山家の36年間の家計簿を分析すると猪山家当主の直之の一年間のお小遣いがわずか、19匁、現在の価値に換算すると7万2千円であり、草履取りの家来の小遣いのほうが多かったそうです。武士の家の使用人である下男下女のほうがかえって豊かな商業や農家だったりしています。正月には武家の女性たちが下男下女を逆にもてなしたりしています。
 この武士の姿は外国人も指摘して、財力も権力もひけらかすことのない日本の武士が農民や町人に敬意を払われていることに驚きを覚えています。
 ユダヤ人で知日派のラビ・M・トケイヤー氏も著書で江戸時代の日本は支配者であった武士階級は町人と違って、質実剛健で、質素な生活を営んでおり、町人が贅沢をしていた、として中国大陸と対照的だったと述べています。

 ちなみに江戸時代は「士農工商」という身分制度があったといわれていますが、これは支那の古い書物の呼び方で「武士」「町人」「百姓」の3つが正解のようです。職業による身分の区別であっても血統ではなく、きびしいものではありませんでした。武士から百姓になるものもいれば、百姓から武士になるものもいました。また、漁業や林業も百姓であり、百姓=農民ではない。町の鍛冶屋は町人ですが、村の鍛冶屋は百姓。(自由社「日本人の歴史教科書」より)

 なんだか随分ウソ教えれれてきましたね。戦後の教育がある種のイデオロギーにまみれているということでしょう。



参考文献
 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「国家への目覚め」櫻井よし子・田久保忠衛共著
 「明治人の姿」櫻井よし子著
 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
 自由社「日本人の歴史教科書」



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