大東亜戦争時には米国で日本人移民は大変な迫害をうけたことは良く知られています。日本人の移民は1881年のハワイ国王カラカウアの来日を契機に1885年のハワイ移民が皮切りになります。米国のカリフォルニアへは1893年のグアテマラ移民から始まっています。しかし、米国の日本人移民への差別はひどく、1924年には排日移民法が成立しました。昭和天皇は「黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである」と述べられたと言います。


1906年(明治39年) 日本人の学童は米国人とは隔離
1907年(明治40年) サンフランシスコで反日暴動
1908年(明治41年) 日米紳士協定により一切の新規労働移民を日本は自粛させられる
1913年(大正2年) カリフォルニア州で日本人移民の土地所有禁止
1920年(大正8年)  カリフォルニア州排日土地法で日本人移民の子供も土地所有を禁止
1922年(大正11年) 米国最高裁判所で日本人を帰化不能外国人と判断
1924年(大正13年) 連邦法で排日移民法が成立


 これらの背景には日露戦争後の小村外交により日米が距離をとり始めたことがありますが、日本人移民が登場する前は支那人が多数おり、農場経営などで成功を収めたりしていましたが、これは白人にとっては気に入らず、支那人を皆殺しにしています。多くのチャイナタウンや村が消滅しましたから、こういった人種差別の流れという要素も大いに含んでいたと思われます。

 日本人移民が皆殺しの目にあわなかったのは日本政府の存在であり、日本の軍事力、日露戦争後には太平洋上無敵となった連合艦隊の脅威・抑止力によるものです。実に簡単な理屈です。日本海海戦で連合艦隊が勝利したとき、サンフランシスコでは”連合艦隊がハワイに来襲した”というデマが流れて大騒動になったとか。



参考サイト:WikiPedia「日系人」
参考文献:
「日本はどれほどいい国か」 日下公人・高山正之共著
「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著



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