「坂の上の雲」読んでいると乃木将軍は愚将というより凡庸で伊地知参謀がおろかなように書かれています。司馬遼太郎氏の史観として「明治の栄光、昭和の破壊」というのがあり、硬直した官僚制・技術と科学の軽視・非合理な精神主義という善悪二元論です。大体、私が教わってきた歴史もそんな感じでした。更に海軍は善玉だが、陸軍は悪玉だったというようなことも教わりました。司馬遼太郎氏も海軍びいきだったといいます。どうやら司馬史観が世の中の大勢を占めてしまったようですね。

 大阪青山短大教授の福井雄三氏のエッセイによると22歳のとき敗戦を迎えた司馬氏は「日本民族をこのような破滅に追い込んだ原因は何か」という疑問を持ったといいます。そこに旅順攻撃で3回の総攻撃に失敗し、児玉が総司令部から乗り込んできて、作戦を変更し、203高地を1週間で落としたというフィクションを作り上げたと述べています。ここに技術と科学の軽視・非合理な精神主義や無能な陸軍の首脳の姿が定着し、後のノモンハン事件と昭和の破滅をもたらしたというものです。福井氏は司馬氏は東京裁判史観の術中にはまっていたと述べています。

 たしかに「坂の上の雲」では以下のように書いています。
「『日露戦争はあの式で勝った』というそういう固定概念が、本来軍事専門家であるべき陸軍の高級軍人のあたまを占め続けた。(中略)日露戦争以後における日本陸軍の首脳というのは、はたして専門家という高度な呼称を与えていいものかどうかもうたがわしい。そのことは、昭和14年、満蒙国境で行われた日本の関東軍とソ連軍の限定戦争において立証された」
 また司馬氏はノモンハンでの兵站の軽視も指摘しています。

 旅順攻撃の203高地は児玉司令がくる前に攻撃をはじめており、予定通り落としたであろうし、ノモンハンにしても日本軍の大健闘がわかっています。司令官の無能ぶりにしても多くの将兵が戦死するとそこに目が行き過ぎて、完ぺき主義の観点から見すぎていないでしょうか。兵站軽視にしても侵略思想のない日本がそのようなノウハウを持っていたであろうか。西欧諸国は数百年にわたる植民地支配をしており、兵站のノウハウは持っていました。非合理な精神主義にしても日本の国力、工業力を考えると足りない分は精神主義で補わざるを得ない側面もあったのではないか。海軍は良かったといいますが、ソロモン海戦以降はいいとこなしで、陸軍のほうがシナ大陸でがんばっていたではないか。と、司馬史観のように白黒で決めてみることはできないような気がしています。


参考文献
 「坂の上の雲」司馬遼太郎著
 「SAPIO]2009/11/11
    「『坂の上の雲』と東京裁判史観との奇妙な符合」福井雄三
    「なぜ司馬遼太郎は乃木希典を『愚将』だと誤解したのか?」井沢元彦




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