今回は辰砂をご紹介します。


石さまざま
辰砂(Cinnabar)【硫化・三方】←4cm→

奈良県宇陀市大和水銀鉱山


大和水銀鉱山についての文献を繙くと…


日本の鉱床総覧

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母岩…「黒雲母石英閃緑岩:該当水銀鉱床区における深成岩類を代表する岩体で、後期迸入の大部分の岩体に捕獲され、鉱山付近に広範囲にわたって分布する。」

鉱石鉱物…「辰砂を主とし、局部的に自然水銀の存在が確認されている。他に黒辰砂の報告があるが、現在では確認できない。他の金属鉱物としては黄鉄鉱白鉄鉱のほかに古くに輝安鉱が報告されている。」

脈石鉱物…「石英、方解石、モンモリロン石、カオリン、絹雲母、緑泥石」


そして、興味深い発見時期ですが「聖徳太子時代と伝えられる」となっています。


日本鑛山總覽
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「~地質は主として片麻岩質花崗岩より成り、鑛床は該岩中に鑛染状または網状をなして胚胎する辰砂鑛にて、天然水銀をも伴ひ、また白鐵鑛石英方解石などをも伴ふ。~(中略)~當鑛區の地は聖德太子御在世の頃佛像塗料として辰砂を採取すると傳へらる。」とあります。   


日本鉱産誌
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さすがは名著です。水銀についての沿革にも触れていますのでご紹介します。

「外国においては、既にギリシヤ時代に水銀が利用されていたと伝えられているが、本邦における水銀鉱発見の時代については詳かでない。ただ伊勢国丹生では文武天皇2年(598)に辰砂を焼いて水銀を製し、使用した史実が残されており、また奈良の都では、赤色顔料として辰砂が盛んに使用されていたことは周知の通りである。奈良では、西暦紀元前300年頃から既に生産を続けていた支那よりの輸入にもよったであろうが、大和地方からの生産も少なくなかったと思われる。

以来大和・伊勢・豊後の各地に続き、肥前相ノ浦・紀伊丹生・備前・伊予・日向・常陸からも産出をみ、顔料医薬用として使用されてきた。

明治維新後の急速な科学技術の進歩により、既知地方はもちろん北海道・徳島・鹿児島等においても次々と新鉱床が発見され、第1次世界大戦当時は未曽有の産出を示したが、終戦による恐慌に伴い大多数の鉱山は休山状態に陥った。

その後昭和の初期から、漸次復活の傾向を示すものが多くなってきたが、この時に当り水銀鉱業界にさらに新紀元を劃したものは、昭和11年(1936)北海道北見国イトムカにおける大鉱床の発見と太平洋戦争の勃発であった。~」とわかりやすく整理してくれています。

そして、大和水銀鉱山については、別に詳細な説明も載せられています。

「~この地方は花崗岩類が広く分布し、鉱床は黒雲母花崗岩の裂罅を充填した鉱脈である。この種のもので本邦最大の大和鉱山の鉱脈は2条の主脈(上下両盤ヒ(金偏に通))より成り、それぞれ1個の大きな富鉱体および若干の鉱嚢を有している。~」とあり、その富鉱体の投象図も載せてあります。


日本鑛物誌
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「奈良縣大和水銀鑛山の辰砂は片麻岩質花崗岩中に網状脈又は鑛染状をなして産し玉髓方解石白鐵鑛等と共出す。普通細粒状集合體をなすも、時に血紅色透明にして美しき微細なる結晶をなす。」とあります。


本邦金石畧誌
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ここには大和水銀鉱山の名はなく、「明重山駒」とあります。『日本の鉱床総覧』には「神生水銀鉱山」というのが載せられ、その場所が「宇陀郡莵田野町駒帰」であり、「」という語は「かえる=る」と読みますので、明重山駒皈は神生水銀鉱山のことなのでしょう。

因みに、『日本の鉱床総覧』によりますと、この鉱山は明治10年(1876)にドイツ人技師ヘッケルが開坑したということが記されています。

そして、水銀については

「水銀ハ内國其二種ヲ産出ス曰ク自然汞曰くク辰砂即チ硫化汞ナリ

  自然水銀 Native mercury. 又汞又玄水又黄(さんずい偏に項)又流珠又朱砂液

水銀は徃時ヨリ世人ノ知ル所ナレドモ内國徃時其産地アルヲ記セス方今ト雖モ之ヲ産スル少量ノミ即チ伊勢三重郡水江村字中谷及ヒ肥前松浦郡平戸ヨリ辰砂ト共ニ僅ニ産ス


  辰砂 Cinnabarite. 又丹砂又眞丹又仙砂又汞砂又辰珠砂

辰砂ハ徃古ヨリ人ノ知ル所ニシテ文武天皇二年(續日本紀)伊勢常陸備前日向等ヨリ朱砂ヲ献スト云フヲ以テ始メトス方今其産地ハ

伊勢三重郡水江村字中谷

大和宇陀郡明重山駒皈村

陸前氣仙群世田米村

肥前松浦郡平戸

右各地所産中~(中略)~大和ノ産ハ眞正ノ緋色ニシテ珪石中ニ混淆ス徃々珪石ノ空間等ニ其明晰ノ晶形ヲ見ルヘシ~」

とあります。



今回見ていただいた書籍です。
石さまざま

『日本鑛山總覽』(澤田久雄、日本書房、1940)
『日本鑛物誌 第3版 上』(伊藤貞市・櫻井欽一、中文館書店、1947)
『日本鉱産誌 BⅠ-a』(東京地学協会、砧書房、1955)
『日本の鉱床総覧 下巻』(日本鉱業協会、1968)

『本邦金石畧誌 全』(和田維四郎、日就社・丸屋、1878)