今回は轟石です。


石さまざま
轟石(Todorokite)【酸化・単斜】←3.5㎝→

北海道余市郡赤井川村轟鉱山


「日本のマンガン鉱床の研究の権威・吉村豊文によって日本で最初に発見された新鉱物が轟石である。轟石は1934年、当時、吉村が助教授として勤務していた北海道大学理学部紀要に報告された。この時代の北海道大学では原田準平鈴木醇が教授、渡辺武男が助教授として勤務していた。ここに出てきた4人の研究者はすべて日本で発見された新鉱物の名前になっている。」(『日本の新鉱物』より抜粋)


文献を繙いてみましょう。

満俺』(佐藤忠義)
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「北海道後志國轟鑛山の、含金石英脈中、一部のヒ石を成してゐる、滿俺鑛物で、從來は含マンガン方解石とせられてゐたのであるが、研究の結果、新滿俺鑛物として、産地の名を採り、轟石と命名せられたものである。この鑛物に就ては命名者、北大、吉村豊文氏の論文がある。」とあります。


マンガン讀本』(吉村豊文)

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「北海道の轟鑛山に於いて發見した珍らしい酸化マンガン鑛物に、筆者が新鑛物として命名したものである。石墨様の光澤の強い黑色を呈し、指につけて摩ると非常に滑らかで石墨粉を摩りつけた様に、或は又鍍金した様になる。極めて軟らかく、繊維状構造を認め、朽木の破片の如く見える。轟鑛山から最初筆者に紹介された時には、朽木が熔岩の中に取込まれて石墨になつてゐるものが、金鑛床に混じて出たから見に來いとのことであつた。以てその性状が窺はれよう。」とあります。


日本のマンガン鉱床』(吉村豊文)
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「北海道の轟鉱山の秀越ヒに於いて発見した珍しい酸化マンガン鉱物に、筆者が新鉱物として命名したものである。~」そうです、この文章は、先の『マンガン讀本』のものと同様なのです。ただ、右のように写真が添えられています。


日本のマンガン鉱床 補遺前編』(吉村豊文)
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「旧著91-93頁には、Yoshimura(1934)が報告したtodorokiteの性状を詳しく述べた。当時はX線粉末写真の技術も極めて初歩であったので、X-ray dataに関してははなはだ不備な報告であった。Inesiteの熱水性酸化変質の産物とする解釈は、轟鉱山の場合には誤りではないと思うが、他鉱山での産状にまで適用できる考えではないであろう。弱結晶性の酸化マンガン鉱物で、他の元素を含むことのすくない純種と考え、この種マンガン鉱物の代表となりうるものとして、todorokiteと命名したのであった。

天然にtodorokiteを産する機会は多いであろうと予言したのが適中し、世界各地から報告されるようになったのは、命名者としてこの上ない幸いと考える。」とあります。


北海道鉱物誌』(原田準平・針谷宥)
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「轟石は轟鉱山の秀越ヒにおいて発見された酸化マンガン鉱の一種である。産地に因みて轟石(Todorokite)と命名された新鉱物である(吉村豊文、1934)。成因的にはイネス石が熱水鉱液による酸化作用をうけ、二次的に生じたものと考えられる。石墨のような光沢の強い黒色を呈し極めて軟かく繊維状構造をなし、坑木の腐敗変朽したような外観を示す。」「轟の轟石は含金石英脈中のイネス石の二次的変化によって生じたものである。その後の研究により多量のバーネス鉱の含まれていることが発見された」とあります。


日本鑛山總覽 全』(澤田久雄)
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「後志國余市郡赤井川村にあり、函館本線銀山驛の東方約20粁の地にて、余市川の上流なる白井川の流域とす。~當鑛山は明治29年頃の發見に係り、同33年より北海道鑛山株式會社の手により採鑛を開始したるもの、先づ卓越坑を發見して採鑛を開始し、同36年には製錬場の設置を見る。其後鑛業權は現鑛業權者たる田中鑛業株式會社の手に移りたるが、大正10乃至13年頃に大優越・東卓越・中越・秀越などの諸脉を發見して鑛況とみに加はる。然し昭和に入りては一層の發展を遂げ、遂に昭和10年には金銀澱物7,670瓲(合計價額1,251,241圓)を産出して、當鑛山未曾有の産出を見た。同年6月末の從業員は465名にして、現に北海道屈指の金屬鑛山であり、且つ本邦の重要鑛山である。」とあります。


最新 大日本鑛山史』(齋藤直基知)
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沿革については『日本鑛山總覽 全』と重複しますので、あまり記載のない福利厚生について抜き出しますと「鑛夫の住宅は無料で貸與してゐるが概ね一棟の戸數は6戸であつて、各戸の内容は2室で8疊及び12疊に臺所及び物置を附けて、電燈の設備がなしてある。又1區域毎に鑛夫の浴場を設置して、休日を除いては毎夜入浴せしめ、更に鑛夫の合宿所を設備して、獨身者の居住に供してゐる。」や「靑年會、處女會があつて機會がある毎に、小學校長其の他から訓話をなし又在郷軍人班の組織があつて適當な訓練を行つてゐる。」さらには「體育は野球、陸上競技とスキーを奨勵してゐる。そして毎年從業員の運動會及び山神祭を擧行し毎月1回從業員及び家族の慰安のために映畫を無料で觀覽させてゐる。」とあります。


本邦鑛物圖誌 2』(伊藤貞市)
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「硬マンガン鑛」の項に「~最近吉村豊文に依り轟石と命名された北海道轟鑛山産の鑛物の如きも硬マンガン鑛の一種である。」として、その分析表を掲げています(右写真)。


日本鑛物誌 3版 上』(伊藤貞市・櫻井欽一)
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硬マンガン鑛の項に「後志國轟鑛山の硬マンガン鑛は金銀鑛脈の酸化帶にある空洞の内壁を被ひ、厚さ1~2㎝に達する沈澱をなして出づ。此の層は層面に略直角に配列せる繊維の集合よりなり、表面は腎臓状を呈す。黑色不透明にして金屬光澤を有し、石墨の如き觸感あり。分析の結果は第110-1表の如し。~吉村豊文は之を轟石と命名せり。」とあります。


参考文献

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『本邦鑛物圖誌 2』(伊藤貞市、1938、大地書院)
北海道鉱物誌』(原田準平・針谷宥、1984、北海道立地下資源調査会)
『日本鑛物誌 3版 上』(伊藤貞市・櫻井欽一、1947、中文館書店)

日本のマンガン鉱床 補遺前編』(吉村豊文、1967、九州大学理学部)

日本のマンガン鉱床』(吉村豊文、1952、マンガン研究会)


『満俺』(佐藤忠義、1938、鑛業社)

『マンガン讀本』(吉村豊文、1942、鑛政會)

日本鑛山總覽 全』(澤田久雄、1940、日本書房)

最新 大日本鑛山史』(齋藤直基知、1940、日本産業調査會)
『日本の新鉱物』(宮島宏、2001、フォッサマグナミュージアム)