私は寿司や和食の調理師ですが

車いす生活をしています。

日本で1人の車いすオーナーシェフでした。


↑動画


コロナで店は閉めましたが

現在も食事をつくる仕事をしており

お弁当やケータリングなどもやっています。



 


2015年の夏に歩けなくなりました。




その日から8ヶ月後の2016年の春に退院すると




いつも側にいた入院仲間たちや看護師さんが消えて

自分1人になる。

人の目が気になり、「俺はこんなに動けなくなったのか」と愕然として妻や子供たちの前で泣き叫んだり。

今思うとアレですけど、あの頃は本当に孤独だったからなぁ。。


その頃は娘が5年生、息子が3年生。

この子たちの運動会に行きたかったけど

車いすの俺があの場所に行ったら…

おそらくジロジロ人の目がすごいと予測できる。

そうすると俺も嫌だけど、

うちの妻や子供たちはどう感じるんだろう?

とすると、珍しい車いすおじさんじゃなくて

珍しくない車いすおじさんになるには…?

と考えで、小学生たちの朝の見守り隊に参加。

すると毎日じゃんけん大会。

学校で1番有名なお父さんになりました。

もちろん運動会も楽しく参加^ ^

すると自然に先生たちとも親しくなったのですが、

授業参観は諦めていました。

「ぶうやまさん、もちろん参加されますよね?」

「えーっ?!2階だから無理ですよ。階段上れないんですから…」

すると先生たちは

「なに言ってるんですか、私たちが持ち上げますよ」と、授業参観で子供たちが授業を受ける姿をみる事ができたんです。

このとき私は〝心のバリアフリー〟というものを体験することができました。


しかし仕事。

確かに障害者年金などありますから、働かなくても生きてはいけます。しかし、私は〝働くお父さん〟に戻りたかった。

子供たちが結婚するとき、私は働いている状態でいたいと考えました。障害者の私がいることで結婚相手がどう思うのか。子供たちにそんな負担をかけたくないと考えたのです。


私は寿司や和食の職人技術を学んだ後、企業で食事を提供する仕事をしていました。

しかし当時、この技術を仕事で使うことはないんだと諦めて違う仕事を調べていました。

だって車いすで厨房に入るなんて、無理な話だと思うじゃないですか。

予想通り会社からは退職の話が。

だから私は朝の見守り隊をやった後、近所のデイサービスでボランティアをやり、冬には会社に入れてもらえる話まで進んでいました。

その冬のある日、電話がかかってきました。

会社の元上司からです。

「オレ、いま違う会社にいるんだけど、厨房に入らなくていいから仕事手伝ってもらえない?」と!

妻と喜びあい、涙が止まりませんでした。

半年すると上司が異動となり新しい方が。

なんとなく、雰囲気でわかりました。

俺はここに長くはいられないな、と。

そして別の日、最寄駅の近くにある商店街で仕事をしている友達から連絡が入り、商店街の真ん中にある空き店舗の大家さんが「あなたが頑張るなら月に6万ぐらいで貸してもいいよ」と‼︎

6万…。

それなら俺にもできるかも…と動き始めました。


私がやるなら当然バリアフリーだしトイレも改造しなければならない。

しかし一般的に飲食店を開くときってとってもお金が必要で、そこにお金をかけることは少ないけれど、自分の場合は改造しなければならない。

それを当時まだ珍しかったクラウドファンディングで、賛成してくれる人たちの力を借りて100万ぐらいになってきた。

ところが大家さんと契約する寸前で、「やっぱり貸すのはやめる」と言われたんです。その頃、私のまわりにはいろんな人たちが集まってきており、なにか余計なことをしてくれた模様。。

商店街のあの場所で、安い家賃で借りられなくなり、クラファンも100万たまっている。

このままだと俺は〝theうそつき〟になる。

しかも車いすで目立つ。

「あ、アイツ有名なうそつき野郎だ」と指を差される。

必死で場所を探し、駅から10分離れた場所で、家賃は月に13万と…。6万の倍もするけど、もうやるしかない。


そして〝和風ダイニングわっ嘉〟が誕生しました。



和食の「和」

車いすの「輪」

人と人との「わ」です。


「嘉(か)」はあまり意味ないんだけど汗

キレイとか美味しいって意味もあるらしい。


車いすでも、障害があっても、高齢者でも健常者でも。大人でも子供だって。外国人だろうがトランスジェンダーだろうが、誰でも集まれる店。


店を出すとき普通は客層を絞って、どんなものを提供するのか?と考えますが、私はその逆をやった。


LIVEをやったり、教室やったり、餅つきやったり、いろんなことをやりました。が、コロナ。

店をスタートして1年後に、です。


だけどやるしかないじゃ〜ん。

もう必死でしたよ。

以前から弁当配達はやってたんだけど、コロナになって周りの店も始めて。マックまで配達はじめたのにはまいったね汗


なんだかんだとテレビや新聞などにも取り上げてもらったり聖火ランナーやったりマンガになったりしたけど、朝の7時から遅いと23時過ぎまでやりましたよ。車いすの俺がですよ。


↑テレビ




2022年9月号↓なぜか主人公が女子…(^◇^;)?




はっきり言って、普通の人の1/5も動けませんからね。忙しいときでものんびりやっているのに等しい。だって急げないんだから。

魚もおろせたけど、穴子とかは諦めてた。

けど、お客様の要望があると、やる。

やってみて…工夫をしてみたらできるわけですよ。

だけど、やっぱり遅い。

普通1分でおろせるところを5分以上かかる。


働きまくったけど、1日がすぐに終わる。

胸から下が動かせないけど そこが痺れまくってる。

でも1日が終わるの早いから、その痺れを気にしてる場合じゃないから、その分楽だったりするんですよね。


そーゆー意味でも、やっぱり外へ出たほうが良いって話してるんですよ。

店はやめたけど、今も働いてます。

夕方には帰宅するけど、この身体で厨房の仕事ができるんですから感謝してますよ。

ここは障害関係の施設で車いすの人も出入りする。だから俺もここで働ける。今年の夏にオープンするにあたって「一緒にやらないか?」と誘われたんです。



話をして欲しいって言われたり いろんなことがあったけど、自分が今求めてるのは、自分専用の乗り心地のいい車いすが欲しいことぐらいかなぁ笑

矢沢永吉さんも言ってるけど、結局やるかやらないかだと思う。


俺はまだ終わりませんよ。

知り合いの店で一緒にやるかもしれないの。

助成金がおりるようにやってるところで、上手くいけば来年早々には?かもなんです。

昼間しかやる予定はないけど。


そしてもう一つ。

今はこうやってsnsがすごいから、いろんな人たちの情報で溢れてる。わかり合える仲間をたくさん作って話せれば気も楽になると思う。

でも社会にはいろんな人たちがいる。

車いすは目立つけど、体内に問題があったり、さっき店のことで書いたけど、障害者、高齢者、健常者、男、女、大人、子供、真ん中、いろんな人がいる。

日本の社会はそんな人たちが気軽に外へ出て、いろんな人たちとコミュニケーションをとれる社会なのでしょうか?

俺はこの身体になって「隠す社会」って気がしてならない。隠れる?かもしれない。

なぜリハビリ病院って地域の端っこの方にあったりするんだろ?


俺はまだ入院してる人や、退院したばかりの人たちに伝えたい。はじめは辛いと思うってこと。特に退院した直後。そして、それから1年どうやるか?が大事な気がすると。

俺はジロジロ見られたし、クルマも妙に俺から距離を空けて走ったり、歩行者や自転車は反対車線に移動してったり。

今は慣れたな〜。

周りも「いつもの車いす」みたいな感じになったし。

よく1人で飲みに行くけど、誰も車いすだからって見てませんよ。「オレ、1級障害者だって知ってる?」って聞いても「そーなの?」みたいな(笑)


いま、役所の障害者支援課と話をしてます。

高齢になる前に障害を負った人は辛いと思う。

でも行政にはそれを助けてくれるものはない。

近隣にもそんな人は少なくないと思う(ウチの近くに俺車いす友達はあと2人います)。

実はいま身体障害者福祉の団体副会長になってるけれど、そこは高齢者中心。

有名なドクターに「人は死ぬ前にほとんどが障害を負う」って教わったけど、障害者団体だから高齢者ばかり。

だからこの若者版をつくろうかな?と、役所と話してます。




さーて、とりあえず仕事行ってこようかな。

今日は普通の?友達と飲み会で、連休には頼まれた弁当19個あるんですよね(^◇^;


そろそろ起きよ。

では〜^ ^