わたしは店を始める前に
クラウドファンディングをしました。
普通に店を始めるなら
バリアフリーで広いトイレは
特に必要がないありません。
しかし、私が作ったのは
高齢者でも、障がい者でも、誰でも利用できる店。
その誰もをかき混ぜる
コミニケーションがとれる店をつくること。
普通よりコストがかかるため
それに賛同してくれる人たちに力を頂きました。

私はある日突然歩けなくなりました。
そのうえ仕事を失い、家族をどうやって養えばいいのか、目の前が真っ暗になりました。
しかし、父親に戻るため、
社会復帰するために動きました。

それで気づいたのは
それは、多くの人が障がい者に慣れていないこと。
多くの人が自分を観ている感じがしました。
見るじゃなくて「観られる」感じ。
そして障がい者は
自分たちだけで集まる感があります。
外に出てこない、出づらい、出れない、出たくない。

今日は子ども食堂にお弁当を提供しました。
作るだけじゃなくて
その弁当を配るところに行ってみた。
たくさんの人が並んでた。
そこには私の知ってる子供たちもたくさん。
私が社会復帰するときに朝のおはようおじさんをしたとき、毎朝アイツらとじゃんけんしてました。だから今日もジャンケン(笑)
アイツら大きくなったなぁ^ ^
たくさんの人がいたけど、
車いすの私は普通に入り込めました。
それは私が外に出て、動いて、店をやってるから?
でもその環境は、自分で作ったし
たくさんの人に応援してもらったから?

この画像は、店を構えようと決めて仕入れ先を見つけるために四国を1人旅をしたとき、徳島で写したものです。


車いすだけど、ひとりで電車に乗って、タクシーに乗って、船に乗って、バスに乗って、飛行機で帰って。
「よし、ここまで動けるなら」と、
店をつくる事にしました。

先日の夜、
義理のお父さんが店に飲みに来てくれました。
カウンターでいろんな話をして
とても楽しんで帰ってくださいました。
その時に思い出したこと…。

ある日出社して、大怪我をしてそのまま入院。
手術して、リハビリ病院に移って2ヶ月ほどしたとき、お父さんが見舞いに来てくれたとき、私は泣きました。
「お父さん、ごめんなさい」
お父さんは何も言わずに背中をたたいてくれました。
涙が止まりませんでした…。

そして先日。
自分が作った店のカウンターでお父さんの笑顔を見たとき、その時のことを思い出しました。
あの病院の中で、まさか数年後に2人でこのカウンターで、笑って話せる時がくるなんて考えもしませんでした。

来週の金曜日。
近くの小学校で話をしてほしいと呼ばれています。
私は子供たちに「あきらめない」ということを
話そうと考えています。