お昼ご飯を提供したら
あとは片付けたり 掃除したりで
パートさん達も春休み。
俺は皆んなのグチを聞いたり
仕事の説明をしたり
自分の仕事が進まず
落ち着いたのはみんなが帰ってから(^_^;)
帰るのが遅くなっちゃったよ。
門のところまで来ると
今にも開きそうな桜の木がたぁ〜くさん♪
桜といって思い出すのは
子供たちが3歳と1歳ぐらいだったかなぁ?
ここで家族4人でお花見をやったんだ(^^)
両端に桜の木がたくさん並んでんの!
すっごい綺麗なんだよね〜(o^^o)
この頃は現場まで車で通ってたのかなぁ?
その通勤の途中で偶然見つけたの。
入社して すぐに店長って言われて、
何をすればいいのか?
担当のA上司にはまったく説明してもらえずに
ギャーギャー文句だけ言われて時間だけが流れて。
結局 栄養士と上手くいかなくてさ。
俺、その店舗から外されちゃったんだよね。
今考えると
あの頃のスタッフには本当申し訳ないと思います。
まとめるという力を 俺は持っていなかった…。
申し訳なかったって思ってます。
だけどさ、
それでもそのA上司と組まざるを得なくて
俺は店舗につかずにフリーとして
いろんな現場に回されて。
その現場の通勤途中で
あの小川の桜を見つけたんだよ。
あの頃ちっちゃかった子供たちが
この4月になると 4年生と6年生だもんね。
聞いてはいたけどさ、
子供って すぐ大きくなっちゃうんだね〜。
ちょっと淋しい(^_^;)
また子供たちに「とーたん」て呼ばれたいよ〜。
ま、その桜並木の近くの現場にいた時に
別のB上司から電話がかかってきたんだよ。
「別の店舗で店長やらないか?」って。
ランチが中心のお店でさ。
この前書いた記事のパスタとか丼のあるお店。
そこでB上司に
数字のコントロールをし〜っかり教えてもらって。
で、前の店長の時よりも
売上を月に100万多くする事が出来ました♪
たくさんの失敗をしながら経験を重ねてきたけど…
大変だったけど、楽しかったな〜。
仕事が面白かったよ(^^)♪
この時のスタッフは動ける人もたくさんいてね。
俺はランチが終わったら後はスタッフにまかせて
別の…いろんな店舗に行って
いつの間にか
仕事を教えるようになってきていました。
20、30店舗は回ったのかなぁ?
こうやって経験できたおかげで
どんな現場に行っても
こなせるようになったんだな〜って思います。
今は 下半身が動かなくなっちゃったけどね…。
だから集中治療室にいた頃は
自分の身体よりも
家族の生活のことや仕事のことで頭がいっぱい。
今はこうやって 落ち着いて考えられるけどね。
その集中治療室のとき「ふ…」と思って
仕事そっちのけで横にいてくれる妻に頼んだんだよ。
「指輪を持ってきてほしい」って。。
食べ物を扱う職場柄 指輪をはめられない。
背中を折るまでほとんど はめた事のない指輪を、
この時から ずっと はめてます(^^)
俺がこうやって自分から外に行くのも
1人で電車やバスに乗ろうとするのも
むかしのように仕事を始められたのも
この 俺の奥さんがいてくれたから怖いけど。
俺は同じような環境の人たちと話してみたい。
そして そこに家族と一緒に行ってみたい。
なぜなら家族の緊張?をほぐしたいから。
俺たちは杖や車いすで “ 目立つ ” 。
だけど家族は目立たない。
そうだよね?
俺の奥さんが普通に歩いてて
車いすのダンナがいる奥さんだなんてわかんない。
でもさ、家族だって悩みが絶対にあるよ!
俺のように あるとき突然 怪我をして、
その時 その瞬間から ずぅ〜っと 帰れない。
意識がなかったり、
手術をしたり、
リハビリしないと動けなかったり。
こうして自分は動ける部分を使って
動かない部分を どうやってカバーするかを
何ヶ月も リハビリしながら学んでいく。
その後ろには、家族がいるんだよね。
悩みがないワケない。
俺はそう思うよ。
同じような立場の人たちと話せば
少しは心が楽になるんじゃないかな?
この文章を書きながら
いま改めて考えてみたけどさ、
俺が動いていろんな人と出会おうとするのも
家族がいるから なのかもしれない。
俺、奥さん大切だもん☆
きゃ〜っ(笑)