これ朝焼け。

綺麗でしょ?
うちの近所みたい。




事故して5日後に奥さんが撮ったの。




数年前まで
始発の電車で通勤しててさ、
奥さんと一緒に駅まで歩いてたんだ。
彼女は駅まで一緒にいって、
その後もぐるっとお散歩してた。
今も続けてるんだよ(^^)



こんな空のときもあったかもね。



駅まで20分弱で、結構あるんだよ。
でも毎日だからさ
あ、もちろん喧嘩したとき以外の毎日ね(笑)
だからいろ~んな話できたなぁ…。



この写真を撮って送って来たときも
「また一緒に歩こう」って言ってくれた。




今日書こうと思ってるのはね……

あの朝、
背中を骨折して
脊髄損傷と診断された後
夫婦で何を考えたのか、
二人で何を話したのかを
思い返そうと。

過去を振り返るのは嫌なんだけど、
この場合は違うんだ。
こーゆーこと。





このブログを始めた理由は

読んだ人に事故を気をつけて欲しいから
事故の後の恐ろしさを知って欲しいから
同じ症状の人との情報交換の一つとして

じゃないよ。


全治〇ヵ月ってものがない
損傷状態を記録しておいて、


自分にハッパをかけるため。







嫁はこう言う。


何度も言うし、
私自身にも言い聞かせていることは…

あなたが生きていて、
頭の損傷がなく、
私たち家族のことを覚えていることが、

それが

何よりも
何よりも大切なことなのです。

たとえ0、0001%でも
もう一度
歩ける可能性があるのです。

その日のための 今日なのです。

明日、またみんなで 会いに行きます。



これ、
凄いよね。
力がモリモリ湧いてくるよ♪

古い言葉かもしれないけど
これで何もやらないなんて
バチが当たるよな(^^;



娘にはこんな文章を書かせてしまった……




これを読んだとき、
このブログには載せないつもりだった。
自分達の、
家族の宝物にしようと思ってたけど
考えが変わった。

この時点で
まだ少し抵抗が無くはないけどさ
いまの考えはこうなんだ。


あったことは書いておこう。
重要なことは書いておこう。






もうすぐ受傷して3ヶ月になる。




あのとき
妻にLINEを書くのをためらったんだ。
なんて書けばいいのかわからなかったから。
だけどうちの妻は
赤の文章を書く女性なんだよね。

あのころは
このスマホで一日中
脊髄損傷の情報を探しまくったよ。

この体で仕事ができるのか、
家族を養えるのか。
そこらじゅうの知り合いに連絡して
可能性を探りまくったな。






家族がみ~んな来てくれた。



そして、

友達もみんな来てくれた。


会社のみんなも来てくれた。
(しかし、後に会社から自己退職を求められる)


だいたいの人が
沈痛な表情をしてやって来たけど、
いつもと変わらない
俺のあっけらかんとした
軽いノリを見て
ホッとした様子をしてくれた。




今だから言えるけど
大切なみんなのあんな顔を見たら
冗談でも言いながら
雰囲気を和ませる事しか考えられなかった。

まぁ、
そんなこと皆も気づいてただろうけどね…。






あれ?
いつのまにか雨が降ってるな。
そろそろ寝るか。

珍しく真面目に書いちゃった(*^^*)