Google NotebookLMが見事に法華経寿量品を解説しました!
寿量品のポッドキャスト風解説グーグルの新しいアプリNotebookLMを試してみました。手始めに私の法華経寿量品に関するブログサイトのURLを入れて音声を作成してもらいましたが、想定外の出来でびっくりしました。AIですから,漢字の読み間違いは想定の範囲ですが、内容を的確に把握しているところは驚きました。内容理解(=信仰上の理解ではなく)については、私の理解力を超えていると思いました。是非、聞いてください。↓NotebookLM へようこそNotebookLM解説の文字起こし音声を聞くと正しくない(=通常使わない)発音の言葉が散見しますので、より分かりや数するために文字起こしをしてもらいました。お役立てください。↓こんにちは。今回は法華経の中でも、えっと、特に重要な如来寿量品について資料をもとに深く見ていきたいと思います。はい、よろしくお願いします。この寿量品は仏教の教えの中でも、ま、核心部分に触れる非常に深遠な内容ですね。そうですね。読んでいくと、私たちが普通に知っているあの、お釈迦様の生涯とはちょっと、いや、かなり違う視点が出てきて驚きます。ええ。まさにお釈迦様ご自身がその本当の姿、特にその寿命について語られるわけですから。まずあの冒頭ですよね。お釈迦様が普通の真実の話を信じなさいって3回も繰り返して念を押す。ええ、三経(三請?)ですね。なんでこんなにって思うくらい強調されてます。それだけこの後語られる内容が当時の、いや現代の私たちにとっても常識がずれで、ちょっと信じがたいことだからということでしょうね。なるほど。それに対して聴衆も必ず信じますからどうか解いてくださいってこちらを3回、さらにもう1回懇願する。はい。三請四請ですね。弥勒菩薩たちが必死に頼うわけです。このやり取り自体がもうただごとじゃないぞと。そしていよいよ確信に。お釈迦様が私が本当に仏になったのは、実はとてつもなく計り知れないほど遠い昔なのだと。ええ、ここが衝撃的ですよね。私たちが学校で習うようなインドのガヤで菩提樹の下で悟りを開いたあの橋性昇格(?)はあれは方便、ま、一種の演出というか、人々を導くためにあえて示された仮の姿だったと明かされるわけです。方便ですか?ええ。本当の成仏、これを久遠実成と言いますが、それはもう人間の想像を絶するほどはるか昔のことだったと。その測り知れない時間を説明するのが、あの、ええと、五百塵点劫のたとえでしたね。そうです、そうです。とてつもない数の世界を全部砕いて微塵にして、その一粒ずつを一歩進むごとに置いていくという気が遠くなるような話ですね。まさに、これはもう文字通り計算するためのものではなくて、とにかく人間の思考や計算能力を完全に超えた無限に近い時間ということを示すための壮大な比喩なんです。弥勒菩薩ですらちょっと想像もつかないと答えていますもんね。ええ。それほどの久遠の過去にすでにお釈迦様は仏陀だったと。うーん。でもそうなると、なぜわざわざ最近インドで悟りましたみたいに見せる必要があったんでしょうか。その方便がといういうのがちょっと引っかかるといいますか。ああ、それは非常に重要な問いですね。資料にもある通り、もし仏が私は永遠の存在でいつでもここにいるよと最初から言ってしまったらどうでしょう?まあ、ありがたみが薄れるというか、じゃあ別に今すぐ教えを聞かなくてもいいかってなっちゃうかもしれないですね。そうなんです。人々は安心しきってしまって、仏の教えを真剣に求めたり努力したりする気持ちをかえって失ってしまうかもしれない。なるほど。だからこそ、あえて私たちと同じように生まれ、出家し、厳しい修行を経てようやく悟りを開き、そして最後は入滅する、なくなるという限りある命の姿を示す。そうすることで、あ、お釈迦様がいらっしゃる間に教えを聞いておかないと。そう。そういう切迫感、求める心、渇仰の心を引き出すため、これは衆生に対する深い慈悲から来る、ま、一種の教育的な配慮、あるいは良き方便なのだと説かれています。うーん、深いですね。その方便をさらに分かりやすく説明するのが、あの有名な良医病子の譬えですね。腕のいいお医者さんとその子供たちの。ええ。これまた非常にたくましい例えです。お父さんである名医が留守の間に、子供たちが毒薬、ま、これは誤った教えの比喩ですが、それを飲んで苦しんでしまう。父が帰ってきて、すごく効く良い薬、つまり正しい教え、この場合は法華経ですね。それを与える。でも毒が深く回ってしまって、心がもう正常じゃない子はまずいとか言って飲もうとしないんですね。ああ、いますね、そういう子。薬嫌いな。ええ。そこでお父さんは1つの策を講じるわけです。私はもう年老いて式も近い。この良い薬をここに置いていくからちゃんと飲みなさいよと言い残してまた旅に出てしまう。そしてしばらくして、父が旅先で亡くなったという知らせが届く。そうです。もちろんこれがお父さんの嘘、方便なわけですが、それを聞いた子供たちはもう頼る人がいないと嘆き悲しんで、そこで初めて父が残してくれた薬の本当の価値、ありがたさに気づく。ああ、それでようやく薬を飲む気になって回復すると。まさに、この父の死んだふりが仏が入滅を示す方便に対応するわけです。それによって、衆生の仏様を失いたくない、教えを求めたいという気持ちを強く引き出して、本当に価値のある教え、両薬を受け入れさせる。子供を救うための嘘だから、それは罪にはならないと。そういうことですね。目的が純粋な慈悲に基づいているからと。ということは結論として、お釈迦様はその本当は入滅なんかしておらず、今もこの娑婆世界、つまり私たちのいるこの世界に常に存在して法を解き続けているということになるんですか?その通りなんです。仏の視点から見れば、この世界は常に穏やかで清らかな浄土であると。法で飾られ、美しい音楽が流れている。でも私たちの目には、悩みや苦しみに満ちた、まるで燃え盛る家のように見えてしまう。ええ。それは衆生の側の、まあ、罪というか、煩悩や悪業によって真実の姿が見えなくなっているだけだと。ひどい場合には仏法僧の三宝の名前すら聞くことができないとも。逆に功徳を積んで心が素直で正直な人はいつでもここに常にいらっしゃる仏の姿を見ることができると。はい。あなたの心の状態がそのままあなたの見ている世界を形作っているとも言えるかもしれませんね。うーん、これは考えさせられますね。そしてこれらの教えの内容が最後のげ、死の形式で、もう一度力強く繰り返されるんですね。ええ。常にこに住んで法を説くとか、実には滅度せずとか、方便して涅槃を現わすといった言葉で、仏の永遠性、慈悲、そして方便の教えが感動的にこうたたみかけるように説かれています。仏の言葉は真実であって嘘偽りもないのだから、決して疑いを起こしてはならないと最後まで念をされていますね。そうですね。信じることの重要性が強調されています。いやあ、今回は法華経の寿量品からお釈迦様の真実の姿、久遠実成と私たちを導くための巧みな方便という本当にスケールの大きな話を見てきました。普段私たちが触れる仏典とは全く違う深さがありました。ええ、仏様の慈悲の深さとその教えの巧みさ、緻密さには改めて驚かされますね。特に良医の例えは、真実を伝えるということの難しさ、時にはストレートではない方法が却って相手のためになることもあるということを示唆しているように思います。そうですね。今回のお話を聞いて、あなたが普段何かを学んだり、あるいは誰かに何かを伝えようとしたりする時、そこにはどんな方便が意識的か無意識的か働いているのかなあなんて考えてみるのも面白いかもしれません。物事の表面的な意味だけじゃなくて、その奥にある本当の意図とか優しさとかに思いを巡らせてみるというのも。ええ、非常に示唆に富む視点だと思います。