あれから二十年が過ぎた。
下町の商店街は、すっかり変わってしまった。
魚屋はコンビニになり、八百屋は駐車場になった。
昔からの店は、一軒、また一軒と姿を消していった。
福来軒も例外ではなかった。
源さんは八十八歳。
腰は曲がり、昔のように長時間立っていることも難しくなっていた。
春江さんも足を悪くし、店にはほとんど出られなくなっていた。
店の壁には、色あせたメニューが残っていた。
「あっさり醤油ラーメン 三百四十円」
仕入れ値は何度も上がった。
三百四十円では、ほとんど利益が出なくなっていた。
近所の人たちは言った。
「源さん、もう値上げしなよ」
「今どき三百四十円なんて無理だよ」
源さんは決まって笑った。
「まあ、もう少しだけな」
ある日、春江さんが尋ねた。
「お父さん。どうして、あのラーメンだけは値上げしないの?」
源さんは、古いメニューを見つめた。
「……昔な」
「うん」
「三百四十円握りしめて、うちに来てくれた親子がいたろ」
春江さんは、静かにうなずいた。
「あの子がさ、いつか帰ってきたとき……」
源さんは、少し笑った。
「三百四十円で食わせてやりてえんだ」
春江さんは何も言わなかった。
ただ、源さんの背中をそっとさすった。
