色々な、元もしくは現役JWの方のブログを見ていると、その中で嫌な思いをしている人が多いことに改めて気づかされます。  

その中で、担当範囲の大小はともかく、所謂監督者の責任についての言及が少なくないようです。

被害者と加害者、の構図ですね。
自分が厭な思いをした、それは誰の責任だ、というわけです。

その感情はごく当たり前と思います。
でも、同時に、その犯人探しはかなり無駄な労力だとも思っています。

会衆という単位で考えてみると、その小さなグループでは、長老がリーダーとして統率されています。
しかし、その長老たちも自分たちの意思や考えで動くことはなく、ほとんど本部や支部からの指示を遂行しているだけです。
また、会衆の平の構成員も、長老からの指示に従いつつ、また自分たちの研究生に教えたり、伝道活動で新たな犠牲者を生み出す役割を担っています。
結局、役割は違っても、同じ集団の共犯者です。その中で責任の所在を探しても、五十歩百歩であると感じます。
もちろん、個人的に嫌がらせをされたというような事例は、また別の話ですが。

だからこそ大事なのは、そんな空しい事に労力を費やすよりも、これからどうするか、そしてどう生きるかと言う視点のような気がします。

とは言え、頭で分かっていることと感情はイコールではないので、なかなか切り替えられないのですけどね。
出来るだけ、建設的かつ積極的にしたいです。
JWにかなりの年月を無駄にしてきて、人生も残り少ないので。(自虐)