今年も、あっという間に師走になりましたね。
今年も昨年同様に、コロナで明け暮れた1年でした。
本来ならば、街にはクリスマスモードを盛り上げる飾り付けが、見られるのですが、今年はどうでしょうか。
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さて、今から37年前、(成願29歳、独立した年)のある日のことを毎年この時期になると鮮明に思い出します。
その年の12月中頃、ある日の夕方、京都の四条河原町交差点付近を歩いて通りがかった時、ある男が当時の阪急百貨店の対角の歩道に立ち止まり、両手を胸の前で合掌してブツブツとお祈りをしている光景に出くわしました。
髪はボサボサの長髪、髭面でボロボロに汚れた服装のその男は、当時その界隈では「河原町のジュリー」と呼ばれていたホームレスでした。
当時、私はその付近のマンション暮らしだったので、散歩の途中で彼を見かけることがたまにありました。
不思議なことに彼はいつ見ても微笑んでいました。
でも、その日の彼はいつもとは違っていました。
ふと彼の視線の先に目をやると、当時まだあった阪急百貨店がクリスマスムードを盛り上げるために外壁に飾った巨大な十字架飾りがありました。
彼はどうやらその十字架に向かってお祈りしているよです。
私はホームレスの彼が何をお祈りしているのか、興味が湧き、そっと彼のすぐ後ろに立ち、聞き耳を立てました。
彼の口からつぶやかれていた祈りの言葉は・・・・・・・?
私は驚きました。
なんと、神への感謝と京都の人々の幸せと、人類の平和を祈っていたのです。
私は、驚きと感動で震えました。
人々が慌ただしく足早に通り過ぎる師走の夕方、夕日に照らされた彼の姿はとても神々しく・・・・
私は思わず心の中で「ありがとうございます」と言いながら一礼して、しばらく彼の祈りの姿を見つめていました。
夕陽に照らされた彼の周りだけ時間が止まり、雑踏の音が消え、不思議な静寂の中、彼の祈りの言葉だけが聞こえていました。
その姿の美しさは今も目蓋にはっきりと焼き付いています。
ホームレスの彼が「河原町のジュリー」と親しまれ、愛された理由が判りました。
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その翌年の1984年2月5日の朝、円山公園で彼が凍死しているのが発見されました。
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京都新聞の記事の見出しには「河原町のジュリー天国に召される」とありました。
彼の死顔は微笑みを浮かべていたそうです。(享年66)
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河原町のジュリーのこの記事は、毎年12月に掲載することにしています。
『神は、人間の私利私欲の指示的な祈願には耳をかさない。』
彼の祈りこそが本当の祈りですね。
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お読みくださった皆様に幸多からん事を!
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成願義夫