私が初めて法然院の山門を見たのは20歳の時だった。

 

秋の観光シーズンだったので観光客のいない早朝に行った。

 

山門の外から見た景色がこの写真だ。

 

門の外は仄暗いのに門の中は、まさに錦秋。

四角く切り取られたその景色は、さながら極彩色の映画のスクリーン。

 

私は震えるほど感動したのを今も覚えている。

ゆっくり門を潜って、中に入り、階段を降りて後ろを振り返った。

 

門の四角い画面に見えるのは、打って変わって闇。

まるで魑魅魍魎が蠢くような不気味な闇が広がっている。

 

今、自分はあの闇の世界から来たのかと思ったらゾッとした。

 

この門は光の世界と闇の世界、つまり極楽と地獄を分ける境界線なのか。

この世には極楽と地獄が常に背中合わせに存在し、人間は簡単にどちらにも行き来できると、

この門は教えてくれているのではないだろうか?

 

どちらに行くかは、お前が決めることだと、門は言っている。

 

 

以下の法然上人の言葉もまた然り。

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われらが往生(極楽に生まれること)は、ゆめゆめ、わが身のよしあしきにはより候まじ(自身の善悪には関係がない)。ひとえに佛の御ちからばかりにて候べきなり。

罪の軽重をいわず(自身の罪の軽重に関係なく)、ただ念佛だにも(念佛さえ)申せば往生するなり、別の様なし。 往生は一定と思えば一定なり、不定と思えば不定なり。(極楽往生は、可能であると思えば可能であり、不可能であると思えば不可能である。)