江戸時代に作られた落語の小噺。

 

 

ある男が大きな茄子の夢を見た話をする。

別の男が両手を広げて「その茄子はこれくらい大きな茄子だったか?」と尋ねると、男は「そんなもんじゃない」という。

「ではこの家ぐらいあったか?」別の男が言うと、

「いや、そんなもんじゃない」と言う。

「じゃあこの町内くらい大きかったか?」と言うと、

 

「いや、まだまだそんなもんじゃない。強いて言えば、暗闇にヘタをつけたような・・・」

・・・

このオチはまるで暗闇に質量があったかと思わせるようなすごい想像力だ。

現代人には、なかなか出せない想像力だと思う。

この発想が出るのは、江戸時代、それほど暗闇が身近なものであったからとも言える。

 

現代のような街灯もなければ24時間営業のコンビニも無い。江戸時代には真の闇が存在した。

考えてみれば今では『真の暗闇』は現代人が滅多に体験することができないものになってしまっている。

私達の果てしない欲望が暗闇を日本から無くしてしまったと言ってもよい。

さらに、人間は『明るさ=安全』という錯覚に陥って、ますます暗闇を遠ざけた。

結果、暗闇には新たな恐怖という想像の産物が潜み、現代人の中には、真っ暗闇では怖くて眠れないと言う人まで現れた。

本来ならば、人間は日の出と共に目覚め、日没と共に眠ると言うリズムが正しいはず。

脳科学的にみても人間の眠りには静けさと暗闇が必要だ。

その環境から人は安眠を得られる。

それは、人類が地球上に誕生し、電球が発明される140年前まで繰り返されてきたリズムとサイクルだ。

 

第二次産業革命以降、私たちは『光』と『明かり』に注目して様々な文化を生み出してきた。

現在、世界中には多くの「照明デザイナー」や「光の演出家」が活躍している。

コロナパンデミックの影響でニューノーマルが定着し、第五次産業革命が起きようとしている現在。

もうそろそろ、「陰影デザイナー」や「暗闇の演出家」が活躍しても良いと思う。

 

成願 義夫