『田中一村』(たなかいっそん)

 

田中一村を思うと、バーナード・ショーの次の言葉を思い出す。
『現代において真の芸術家を目指す者は、妻と子供を飢えさせ、年老いた母に労苦を強いる事になる」
つまりこれから先、ゴッホや田中一村のような真の芸術家は出てこないかもしれないいうことだ。

現代、芸術にも市場があり、アートもビジネスと捉えるならば、アーティストが生きていく為に、ビジネスの成功を望み、金儲けを目指すのは当然の事だといえる。
むしろ優れたアーティストならばそちらを目指すべきだろう。

現実として、妻子も食わせられずに貧困の中で一生描き続ける事に誰も価値を見いだしていないからだ。

しかし、一村のように自らの孤独や貧困に負けず画業を貫き通す事で生まれる感動がある事を彼の作品はあらためて教えてくれる。

間違ってはいけないのは、貧困と孤独の中で描き続けると誰でも一村になれるわけではないという事。

天才がその環境の中で余計なものから解放され、真の芸術性がより研ぎすまされたという事だ。

これはある意味『奇跡』と言ってもいいだろう。

現代人が無くしている『純粋』がそこにある。

彼の絵を前にして理屈も言葉もいらない。
こみ上げてくるものが違う。

 

田中一村(たなかいっそん)
(1908年7月22日 - 1977年9月11日)
あまりにも純粋に芸術を追い求めた希有な天才。
幼少より誰もが天才と認める画力を身につけ、東京芸大に進み、既存の画壇に入ろうと試みるが、彼の作風は理解されず、絶望して50歳を機に奄美大島に移住する。
その後、彼の存在は多くの人の記憶から消えていった。
奄美大島の素末な借家に一人で住み、大島紬の染色工として働くが、奄美大島の自然に触れて、絵を描く情熱を再燃させる。自らの作品を発表せず、ほとんど売らず、画材を買う為に時々大島紬の泥染めの仕事を手伝う。彼の死後(享年69歳)、見つかった数々の作品(日本画)は、人々を驚愕させた。
私、成願も驚愕したその一人である。

成願義夫 記