『レイモンド・ローウィ』のピース紺

 

 

私が図案家に弟子入りした頃、よく「ピース紺(またはピー紺)」と言う言葉が使われていた。

その当時私の師匠はウールの着物の図案を主に描いていたので、紺色の地色は多用されていた。

弟子入りして間もない未成年の私には最初「ピースコン」と言う言葉の意味がまったく理解できず、先輩にピースのパッケージの紺色と聞いて納得したのを覚えている。
昭和30年代40年代はグラフィックの世界でも「ピース紺」は一斉を風靡したと後から知った。
そして、その後、かなりの年数を経てから『レイモンド・ローウィ』を知った。因に昭和26年当時150万円のデザイン料で日本専売公社と契約したと言う。(現代に換算すると約1200万円)

 

晩年、ローウィはこのように語ったそうだ。
「このデザインがこんなにも永く日本人に愛されるとは思っていなかった」

 

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