大前光市の Dance
かかしのダンサー 大前光市 (再掲)
義足は個性。 ダンスは体を流れるいのちの音色。
生きる確かさ、
「血が通って生きている」という確かさを追求し、
そのいのちの音色を全身で表す。
義足になったからこそ、
こんなにも生きることと向き合うようになれ、
それをダンスによって表現することができる。
義足は彼に「光」へと変わった。
踊ることによって、
義足が彼の人間としての心臓になったのだろう。
深い孤独の苦悩の末、
義足は彼にとりかけがえの無い大切なものとなった。
Dance することによって、
義足を彼は自分の個性とすることができるようになった。
足を捨ててみる、
足がなくても生きていける、
足に頼らなくても踊れる。
その自分を極めていく、
生きる自分を極めていく。
自分を極めることは、自分のスタイルを極めること。
われわれは宿業を背負っているからこそ、
人間であることを追求し、
罪深いからこそ、
賢さの追求ではなく、愚者に徹せられる。
「わたし」は愚者以外のものではないので、
目に見える世界を超えた遙かな大きな世界に向かう。
「確かさ」という血の通った「光る世界」に。
(虎ノ門、森ビル Gardening Floor)