明日はわたしの誕生日で、
生徒さんたちからお祝いに
こんな素敵なお花をいただきました!
ありがとうございます。
わたしは、人間の民族的・集合的意識の内に生きる存在ではなく、個人としての独立的な存在への意識の目覚めを、「イスラエルの知恵」の歴史の中に見出している。その歴史的運動の中心が、「モーセによる出エジプト」だったと捉えられる。
だが、「イスラエルの知恵」の出発点、その原点はアブラハムにある。決してモーセではない。そして、アブラハム最後の事業は、アブラハムが生きた真理の継承者をこの世に残す、ということであった。それが、アブラハムの子イサクに、婚姻の相手を見つけ出すという作業であったと考えられるのである。
『創世記』によれば、アブラハムはイサクの配偶者を探すために、その配偶者には「生き方の継承者になる」という条件をつけ、従者をナホルの町へ遣わした。そこで従者は、継承者の条件を身に負う配偶者を見つけ出すために神に祈ったが、その時の神への呼びかけが、「わが主人アブラハムの神、主よ」という呼びかけであった。
これは極めて大事なことだということが、最近わたしにもやっとわかった。
わたしにとっても、ただ神や、イエス・キリストや、聖霊なる神の研究などが重要なのではない。そんなものは真理探求でも、生き方の体得でもない。わたしにとって、やはり「高橋三郎先生の信じた神よ、藤井武の主よ」である。高橋先生や藤井武の、絶対に神に従う生き方が、わたしの生活の中に働いているからである。
もしわたしが彼らに触れることがなかったなら、「絶対の神」などというのは、所詮わたしの主観的なものに過ぎなくなってしまう。
確かに、「継承」なき真理は創造的ではない。
(ありし日の高橋三郎先生)
* * * * * * *
もはや遥か彼方となった高橋先生との出合いだが、初対面のときが今も鮮明に甦ってくる。わたしのことを、先生は友人を通して既にご存知だったらしく、初対面の時に「おおー、君か~!」と、満面の笑顔をこちらへ向けられたのだった。
あれから、幾星霜が経過した。
わたしが東京へ出て来たのは、この先生に会い、この人から学びたいとの一事に尽きる。
わたしが先生とお会い出来たのは、まったく奇跡としか言いようがなかった。
当初、わたしが高橋先生に会うために東京へ出ては来たものの、先生にお会いする手がかりは全くつかめないままに、二年間が過ぎた。
ところが、ある日突然に、先生はわたしのいる大学へ講演にお出でになったのである。
「高橋三郎、来る!」の知らせは、わたしの心に衝撃だった。
一体何がどうなったのか、と思った。
しかも、講演のために高橋先生をお招きになったのは、わたしのゼミの先生であった。
わたしのゼミの先生が、高橋先生と知り合いの間柄だったとは!
しかも、高校生の時代にも、わたしのいた高校の校長が高橋先生の師・矢内原忠雄に心酔されており、どうしても矢内原を学校に招きたいと交渉され、講演会を実現させたのだった。矢内原が天に召される2年前である。この時の講演の内容は、矢内原忠雄全集にも収められている。
人生とは、本当に不思議なものである。
高橋先生がお出でになった時の講演は、「平和と人間の問題」と題するものであった。この時の講演内容は、高橋三郎著作集第7巻、信仰と政治の間(上)に掲載されている。
そして、その講演からしばらくして、わたしは高橋先生の門下への入門を許された。
そして更に二年後、わたしは先生のパウロ講義の真っ最中に、絶対者が直接わたしに現れて来るという、『顕神の体験』をしたのである。それは、わたしのそれまでのあらゆる知識と想像とを絶した体験だった。
そして、わたしの人知を超えた試練の数十年が始まったのである。
わたしの「生の原点」は、確かにここにある。
(横浜:「みなとみらい」を望む夕べ:'24/7/23)