〈始め〉からすべてを通って来た人の役割 (2) | 太陽の船に乗る

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ディオニュソスの白夜をゆく

〈始め〉からすべてを通って来た人の役割 (2)
クリシュナムルティの
『The Ending of Time』より私訳:

         DB=デビッド・ボーム
        K=クリシュナムルティ

DB:ある意味で、あなたがするどんなことも行為ですが、しかし彼の行為は「錯覚の過程」に向けられてはおらず、この錯覚の過程の下に横たわっているものに向けられるものでしょう。それは多分、絶えず〈基底〉から湧き起こって来る、間違った進路の取り方を見直すことに向けられるものでしょう。

K:ええ、ええ。さまざまな宗教が、救われた存在、悟りを得た人、何かそういったものを遂げた人のことを述べてきました。それらは、特にインドの宗教書では、彼の歩き方、容姿、話し方、彼のあり方の一部始終が、非常にハッキリと述べられています。

DB:それは想像だと思いますか?

K:その部分については想像だと思います。私はこの点を色々と検討したことがありますが、すると相手は、いやそれは想像ではない、それを述べている人は、正確にありのままを知っているのだと反論するのです。

DB:しかし、どうして知っているのかが明確ではありませんね。

K:では、その種の人はどんな人なのでしょう? この世界で、どのように彼は暮らすのでしょう? もし突っ込んで調べてみれば、これは非常に興味深い質問です。 
「非運動の状態」があるのです。つまり、すでに私たちが調べたあの非運動です。

DB:あなたが非運動によって、正確には何を意味しているのか、明白ではありませんが。

K:人は詩的になりがちですが、私はそれを避けようとしているのです! 
で、これもいささか詩的に聞こえるかも知れませんが、それは、野原に立つ一本の木のようなものです。その木の名前は分かりませんが、しかし他に何の木もなく、その木だけがそこにあるのです。

DB:が、何故それを「非運動」と言うのですか?

K:それは不動なのです。

DB:もちろん、木は立ったままですが。

K:木は生きものであり、運動します。私が言おうとしているのは、そのことではありません。

DB:木はある意味では運動しているが、しかし野原との関係では、それは直立したままである....これが浮かび上がって来る光景です。

K:誰かがあなたの元にやって来ます。何故なら、あなたは始めから終りまでをたどったからです。あなたは遂に、全く別種の運動、時間を超越した運動と共にある。で、私はあなたを訪ねて、聞きます、「それはどんな心の状態ですか? その道をたどって来て何かを終らせ、完全に暗黒から抜け出した、あなたの心の状態はどのような状態なのですか?」と。

DB:もしそれが非運動だと言うのなら、それは一定しているということが暗示されているわけですか?

K:多分。が、「一定」によって何を意味しているのですか? 連続ということですか?

DB:いえ、いえ。

K:では何でしょう?

質問者:静止的(static)では...?

K:いや、違います!

DB:しっかり立つこと、一個の全体として共に立つこと。それが、文字通 りの意味です。

K:そうですか?

DB:それが、その木について得られた描写、野原の木が示唆する光景です。

K:ええ、分かります。それはあまりにもロマンチックで、詩的で、ややもすると欺瞞的になりかねません。それはすばらしいイメージですが、しかし、それを離れましょう。
  それはどんな心なのでしょう? 始めから出発して、成り行く道をたどり、暗黒の中心を経てそのすべてを一掃した心――そのような心は、暗黒の中にある世界で何をするのでしょう? あるいは、しないのでしょう?

DB:明らかに何もしないでしょう。それは、この世界の運動には加わらないのですから。

K:なるほど。

DB:で、ある意味ではそれは一定していて――固定しているのではなく――そして不動であると言えます。

K:それは静止的なのですか?

DB:いや、静止的ではないのです。単に静止的ではなく、また同時に、運動でもある恒久性というものがあるのです。

K:私たちは、その運動は「成り行く動き」ではないと言いました。

DB:ええ。そうではなく、完全に自由な〈基底〉の運動だと。

K:その心に何が起こったのでしょう? それを少々調べてみましょう。
そこには何の心配も恐怖もありません。 
「慈悲心」や「愛」という言葉は、それらを超えているのではないでしょうか?

DB:が、しかしそれらはこの〈基底〉から出現するのかも知れません。

K:その心は〈無〉であり、物ではなく、それゆえ空っぽで、知識からも自由なので、常に洞察の光に照らして行動して行くのでしょうか?

DB:それは、「常に」ではないとしても、洞察の性質によって浸透されるのでしょう。

K:ええ、それが私の言わんとすることです。

・・・・・・ to be continued

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