太陽の船に乗る

太陽の船に乗る

ディオニュソスの白夜をゆく

 

いとしの第六惑星(「永遠の遠国」のうた)   あがた森魚

 

 

 

 

 阿蘇市からの計画認可が得られ、Water Bird 建設計画が正式に決まりました。年内に認可が得られ、大変良かった、良かった。

 

 各関連する企業や携わる方々との基本的な取り決めなどの必要があり、1週間近くを阿蘇まで出張してきました。いろいろとご協力いただいた方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

 

 

中心的な阿蘇大高原

(上の2つの画像は、カルデラの正面、阿蘇大高原。

ウォーターバードはこの高原地帯の

ふもとの位置になる。

映画「進撃の巨人」の撮影現場にもなったところ)

 

 

(阿蘇の涅槃像の顔を形成するネコ岳。

ウォーターバードはこの真下の麓の位置)

 

 

ウォーターバードの位置

(上の2つの画像のうち星印を記入した位置が、

ウォーターバード〈阿蘇タロット王国〉の建設予定地。

場所は、阿蘇駅から内牧温泉入口へ向かう、手前)

 

(ウォータバード予定地の3軒隣の美容院。

すでに稼働している)

 

 

(阿蘇、外輪山の夜明け)

 

(外輪山の麓から、夜明けを望むために飛び立つ気球)

 

(ウォーターバードから望む外輪山)

 

 

(ウォーターバードの設計をお願いしている

設計士の先生の作品例。

外観をこれに近いものでお願いしている)

 

 

 

 阿蘇駅からは、いまやインバウンドによる外国人旅行者が、阿蘇火口行きのバスを待って、1時間おきくらいに毎日長蛇の列をなしていました。阿蘇駅近くのホテルの宿泊客もレストラン客も、大半は外国人のように思えました。

 

 また、高校サッカーで有名な大津町にも2度ほど行きましたが、そこでは TSMC 工場の拡張がすさまじく、巨大な第一工場に対して第二工場もすでに工事が進行中です。見た目の工事状況は、第二工場は最初のものを上回るのではないかと思えるほど、大がかりに工事が進められているのがわかります。

 

 

 肥後大津駅から原水(はらみず)駅にかけての住宅建築、不動産の動きは活発で、新築住宅分譲のラッシュ、地価の急激な高騰(2年ほどで3倍以上の値上がり)、賃貸マンションの急増など、かつての高度経済成長期のありさまを見ているような気にさせられました。

 

 

 

 

キットキット!!遠く遠く!!  あがた森魚

 

Iran 大地ーー人間が生きてきた地球の中心地

 

 

 世界神話の研究家ジョーゼフ・キャンベルは、地球の中心はイラン台地だという。もちろんそれは、生物学的な意味ではなく、人間が人間としての意識のもとに文明を築き始めた中心の意味であろう。

 

 イランに行ったことのない私にとって、このフィルムはどれだけ人工的な加工が施されているかはわからないにしろ、意味深い映像なように感じ取れる。

 

 山あり、海あり、砂漠あり、森あり、原野あり、草原あり、岩肌あり、雪あり、耕作地あり、などなど、四大エレメントのエッセンスがすべて詰まっているようなところが、私を瞑想的な気持ちにさせてくれます。

 

 

 私は時々この映像を見ながら、過去・現在・未来にわたる人間の営みに想いを馳せる。それは一種の瞑想的な時間にもなっている。

 

 

 

 瞑想といえば、私には二十代の頃から座右の銘にしている『金剛経』の一節がある。それは「まさに住するところなくして、その心を生ずべし」という言葉である。これが私には、瞑想というものの核心だと感じられてきた。

 そして、その頃から、ずっと壁には次の書を架けてこの思想を大切にしてきた。

 

 

谷川徹三 書

(谷川徹三 書:応無所住 而生其心 

まさに住する所なくして その心を生ずべし)

 

 

 これは二十代の頃に、当時日本橋にあった三越デパートで買った印刷ものだが、私にはそれが直筆ものか印刷ものかは、どうでもいいことである。

 重要なことは、それを見て、書いた人の存在と心持ちが伝わって来るかどうかである。この色紙に触れると、私には谷川徹三の存在が伝わってくるのである。

 

 谷川徹三が語られる話を、最初に聞いた時には心底驚いたものである。「今も哲学者が存在している!」と、驚いたものだった。

 

 それまで、哲学者とはプラトンとかソクラテスとか、過去の人か物語のなかにいるような人だとばかり思っていた。それが「いま目の前にいて、生きて語っている!」、と衝撃的に驚いた。

 

 先生が語り終わると、私は恥も外聞もなく駆け出し、先生の後を夢中で追っかけて行った。

 

 何がそうさせたのか。それまで、哲学とは他人の思想か、論理的な整合性ばかりを学ぶものだと思っていた。ところが、谷川徹三の哲学は、生きて人間関係をつくり、何ごとかを切り開いていく、その「人間の生き方」をどこまでも探求するものだと教えてくれたからである。

 

 そして、谷川徹三に触れると直ちに、私のなかに哲学的な探究が起こった。そして、後へは引き返せなくなったのである。そして私はいま、谷川先生がかつて住んでいらっしゃった隣り町区に居を構えている。

 

 

 

「深淵(アビス)のリリィ」   霧音(きりね)

 

 映像はモデルさんです。

 

 

 師走も近づき、昨年亡くなった姉のことがしきりに思い出されます。コロナに感染してしまい、最後の枕辺に行ってやれなかったことが、申しわけなく、許しをこうばかりです。