太陽の船に乗る

太陽の船に乗る

ディオニュソスの白夜をゆく

 

吉田拓郎

 

 

妻が10年前のわたしの教え子に、街でぱったり会ったということです。今も時々、わたしの本を取り出して読んでいるとのこと。「心が救われます」と言っていらっしゃったと教えてくれました。

 

 

わたしの辿ってきた人生にも、少しは人のお役に立てているところがあるとすれば、わたしの方こそそれによって救われているというものです。

 

 

高齢になり、体が不自由になって、「こんな人の世話にならなければ生きられなくなって」、と嘆かれている方もおりますが、そのお気持ちはよく察せられます。どんな形であれ、面倒を見てくださる方がいらっしゃることはありがたいことです。

 

 

しかし、一方で、その方がいらっしゃることで、他の人たちから今まで隠されていた愛情が引き出されてもいるのだとすれば、人の世話になることにもそれなりの価値があるものだと感じられます。面倒を見る方も見られる方も、共に相手を必要とするものなので、ありがたいことです。

 

 

 

 

 

 

最後の姉が亡くなって3ヶ月。残務整理のため、熱海に行ってきました。これで親も兄弟もすべて亡くなり、わたし1人だけ残されました(甥はいますが・・・)。

 

わたしの人生はどこまで来たのだろうか?

 

 

自分が、自分として生きる根源的変容について;(再掲)

 

 

必要性から生じる関心というものがある。

失職したので、生活のために新しい仕事を探す。

これは生活の必要性である。

 

 

今の仕事にはもう不満で我慢がならなくなってきているので、

「私は何をやったら良いのだろう?」と問いかける。

これも、

納得できる仕事が見つかれば、問いかけは終わる。

 

 

もっとお金が欲しいか、もっと安楽な生活にしたいために、

足りない技術、足りない資格、足りない知識を求める。

この探求も、生活が楽になれば終わる。

 

 

人間関係の虚しさから、人生に疑問を持つ場合もあるが、

これも、

信頼できる先生や友人、うまくつき合える恋人ができれば、

「探求らしきもの」は終わる。

 

 

放射能が恐いので、自分のためにも家族のためにも、

安全な別の居住区を探す。

これも、

気に入る場所が見つかれば、探求も不安も終わる。

 

 

何の必要性とも無関係な、「探求」というものはあるのだろうか?

生きることそれ自体に、根源的な疑問を持つこと。

生きることそれ自体に、根源的な虚しさを感じること。

 

使徒パウロが、

「義人はない、一人もない」と、その時代の言葉でぶつけた、

あの疑問である。

 

岡本太郎が、

「朝は夜よりもいっそう暗い」と叫ばずにはいられなかった、

あの若き日の、世界との触れ合いである。

 

 

人はこの問題の前に、

何の感傷も、何の自己憐憫もなく向き合えれば、

ある日、驚くべき宇宙が誕生してくるかもしれない。

 

 

 

夜明け(岡本太郎)

 

夜の夢は濃く甘い

幻がきえ

太陽が白々と姿をあらわす

死臭ーーー

朝は夜よりもいっそう暗い

人も禽獣もおびえ

不吉な予感は嘔吐色

天地を塗りこめるーーーこの朝

総身は歓喜に満ちーーー

 

 

 

朝は夜よりもいっそう暗い

だが、総身は歓喜に満ちーーー

 

 暁烏 敏(あけがらす はや)は、彼の著書『更生の前夜』の中の、「蘇生の悩み」の項で言う;(再掲)

 

 

 

1. 釈尊が2500年前に生まれようが、3000年前に生まれようが、そんなことはわたしの問題ではない。わたしは現に自分の上に生きておられる釈尊を見れば、それでよいのである。

 

 

 

2. 阿弥陀如来がチベットの神話であるとか、釈尊の理想に過ぎないなどということも、わたしにはどうでもいいことである。わたしは現に自己の上に生きておられる阿弥陀如来に逢えば、それでいいのである。

 

 

 

3. 大乗仏教が非仏説であろうがなかろうが、原始仏教が小乗であろうがなかろうが、そんな問題はわたしの問題ではない。わたしは現に自己の上に生きているブッダの知恵を体得し、古い経典の上に新しい自己を見出せば、それでいいのである。

 

 

 

4. オイケンの説、ベルグソンの説、メーテルリングの説、バーナード・ショウの説、などなどを研究するのは、わたしの問題ではない。わたしは、これらの説の上に新しい自分を発見すればいいのである。

 

 

 

5. わたしの問題は常に現在である。生きているのである。わたしのこの現在の一念の主観を離れた問題は、空虚であり、概念である。わたしは、全生活に没頭して、すべての上に自己を発見していくところに、生存の意義があるのである

 

 

  ・・・・・・以上、必ずしも原文のままではありません。