「数字」の解釈-研究・広告・放射能から考える
こんばんわ!!かたやまです!
来週研究室の輪講
(りんこう:週1で研究の進捗とか最新の論文読んで発表するやつ)
にてぼくが発表なので、
今日は午前に業務委託でコミットする方とミーティングと、
ちょこちょこ会社の人達とメールやスカイプしつつ、
一日研究の結果のパワーポイント資料を
作るのに追われております。
でですね、
前回の日記 のような大量のデータに埋もれて、
そこに何らかの解釈をつけようと、
頑張っているわけでございます。
そこで研究のデータを
統計解析とかして
(かたやまは地味に数検準1級の数学好きです。)
その数値が妥当だとか、
有意水準が1%だからいいとか、
検定したからOKとか、
とりまがんばるんだけど、100%正解はないんだよね。
有意水準5%ってことは、
5%は違うかもしれないわけで、
偶然とは考えにくいってだけで
これはべつになにも保証していないんだよね。
ほかにも数字はいろいろ怖いなって思う。
広告効果もそう。
例えばネット広告でも
クリックが何回で~
インプレッションが何回で~
とかうちらもカウントしているけど、
同じ1クリックにしてもいろいろあって、
「あっ、なんだこれ」
「うわ、間違えてクリックしちゃった」
「ちょっと面白そうだな」
「おお、これ欲しかったんだ~」
みんな違う想いがあると思う。
テレビのCMは正確にはわからないけど、
ネット広告は定量評価できるんだっていう論調、
確かにテレビよりわかるんだろうけど、
結局インタラクティブな側面はくわえられても、
そのモーションやインプレッションの「深さ」はわからないから、
本質は変わらないんじゃないかなとか思う。
最近だと原子力発電所の放射能もそう。
「基準の1.1倍の放射性ヨウ素が・・・」
基準って何??
100倍とか書いとけば、いいと思ってるのかな。
何ミリシーベルトだからどうとか、
長期的に浴びたらどうとか、
見えないし、わかんないんだよね。
環境リスクの研究者が全員抱えてる課題だと思うけど。
もちろん指針にはなるから指標になっているんだけど、
そこの解釈は常に気をつけていきたいと思う。
こんなことを言ってしまうと元も子もないんだけど、
本当に正しいことってなんなんだろうって思います。
考えさせられます。
・・・・・早く資料作れって話ですが笑
それではまた!