3学期スタートしましたね。
とりあえず遅刻で1月は終了。
このまま3月まで行くかなぁ? と思っていたのですが、
どうにも様子がおかしい……。
朝も一人で遅刻しても登校できるようになったものの、
家から出て公園の縁をゆっくり遊びながら進まない様子。
登校しても1時間はしたくで終わり、〇〇時間目から行く!
と授業参加を目指すも実際は不参加で終わる日々でした。
3学期は2学期最後の面談で、とりあえず交流は減らして支援級で学習を試してみることになっていたのですが、よくよく聞くとどうも減らしていないと。
結局先週は学校二日ほど休み、その間校長面談もしたのですが
どうにも話がおかしい……。
学校の様子を聞くも「落ち着いてます」という話と
「交流級に行くと周りにちょっかいをかけてしまう」という困った話がごちゃ混ぜ。
両方あるだろうと思うのですが、なんとも歯切れの悪い話しぶりに、ちょっと様子を見させてくださいと申し込むも、相変わらず一度は断られる。
面談後に子どもと話すと、一緒にいてほしいと希望。
なら一緒に行ってみましょうと電話で伝えると即OK
これが、今休んでいる布石になりました。
どうも教室での様子を見てほしい担任と、そこまでしなくでも大丈夫と断る校長で意見が割れているんですね。
なので一度付き添わせてください、と
入学後初めて付き添いの許可を得て一緒に登校しました。
すると……
結論から言えば、別人でした。
門を入るまで普通にしゃべっていた子供が、学校の教室に入った途端豹変。
「あっちいって!」「こないで!」
ついてきてというからついてきたんだよと言っても、かたくなに体を押してきます。
おかしいなと思いながらも勧められるままに交流級の見学……
それを聞いた途端、ぱーっと一人で走って行ってしまう子ども。
はっきりおかしいと感じながらも、交流級の廊下で付き添います。
ドアのすぐ近くで教室の中を休み時間のぞくと、
わらわらと「どうしたの?」と声を掛けられる子ども。
そして一定の人数が集まると、くるっと反射的に走りだして逃げます。
もうこの段階でおかしさ満点。
いえ、想像はできていたのですが、それがちょっとけた違いでした。
じっとできない。
手をつかんで止まれと言っても止まれない。
体がもうじたばたともがいている状況で、引き留めるだけで一苦労。
声が届いてないのか、止まらないし静かにできず、まったく落ち着かないのです。
いったん落ち着こうと言って背中をさすると、手に伝わる心臓音。
動悸がすごい状態で、この段階ではまだ多少話ができたのですが、次の時間になってもますます動揺が伝わるんです。
うろうろと教室をふらふら
あ、これパニックだと思ったのは、そのあとのやり取りでした。
必死に逃げようと全力です。
これ、今の私ではもう止められないのですが、なんとかつかんだ手を放さずにいるだけで精いっぱい。
色々重なっているとは言え、これが普通なのか? 明らかにパニックだけれど? 目がもうおかしい!
最終的に、給食の時間まで居ましたが先生から聞かれました
「家でもこうですか?」
「いえいえ、こんな姿、何年振りかに見ました」
沈黙した先生から、これが日常なのだと伝わりました。
数日前の校長面談の際も、子供も今回は同席したのですが、
結局一緒にしゃべることはできませんでした。
全部私に耳打ちをして、あとはタブレットのゲームに逃げてしまいます。
必死に居心地の悪い中でゲームに逃げ込んでいる子ども。
タブレットがない体育では、見学者と一緒にいるかと思えば、やっぱりふらふら落ち着きません。
やり取りがわからず、フラッとサッカーのコート内に入ろうとして「何やってんだ! じゃますんな!」とクラスメイトに怒鳴られ、カッとして逃げ出す子供を押しとどめます。
ああ、これはダメだ。
そう思いました。
これがいつものことであるならば、子供は学校でずっとパニック状態ということです。
給食でわずかなりとも発言をしていますが、ブーイングや単語だけ。
やり取りがほぼできなくなってしました。
家ではおしゃべりで、うるさいくらいですが、学校ではここまでできなくなっていた。
担任の先生が「落ち着いています」というのがもし今日の状況ならば、担任の見る子供と私の知っている子どもはもはや別人です。
それが、わからなかった。
見ただけでもわかりませんでした。
付き添ってはじめて、わかったこと。
その場で、登校するにしても付き添いのみ、
付き添いできないときは休ませますと伝えると
「寂しくなります」
何も言えなくなりました。
来ない前提になっているからです。
運よくというのもあれですが、週が明ければ予約している病院へ行って医師に相談ができます。
帰宅後、夫に状況を話すと「とりあえず病院へ行くまで休みでいいのではないか」で一致しました。
帰宅した時家にいた夫も、子供の目がおかしいと気づくほど、普段とは違っていました。
学校の中では会話もままならず、必死に全力で逃げようとすることどもを、先生の勧めもあってほぼ無理やり一緒に帰ってきました。
ずっと「学校にいたい、学校にいたい」と言い続けても、
担任の先生は出張、代わりの先生も誰かわかりません。
安全が確保されない。
それは子供のパニック状態でおいておくわけにはいかないからです。
本人だけでなく、周りにも何かケガなどを負わせることもあり得る状況と判断しました。
それくらい、私の目から見た子供は完全にパニックでした。
教室を出て、靴を履き、門を出たところで突如子供がいつも通り会話をし始めました。
「あのままずっといたら難しかったと思うよ」
「うん……」
学校の中でどんどん会話ができなくなっていた子供が
門を出たところで正気に戻ったかのような変貌でした。
ぞっとしました。
まずいと。
壊れかけていると。
このまま学校へ行かせても、うちの子は壊れるだけと思いました。
緘黙などのレベルではなく、多重人格になりかけているような
そんな不安を抱く豹変ぶりに、即座に学校へ行かせることはやめる決断をしました。
それから週末を経て、明日、ようやく病院です。
その間習い事でも様子を見たり聞いたりしてきました。
塾では落ち着いて「普通に」つまり他の子と同じように授業受けて勉強しています。(ほぼマンツーマン)
習い事でも、大人たち複数いる環境で、言葉でやり取りをして物語を一緒に作っています。
学校でだけ、うちの子は壊れる。
恐怖で、おかしくなる。
それは身体症状としても、メンタル症状としても両方出ている。
しかもスイッチは校門なんです。
だから気づけなかった。
学校へ行く間は普通なんです。
門をくぐって支援級に入った途端、別人のような態度になる。
スイッチが切れるのも、門を出たところです。
先生たちは、落ち着いたわが子を知らないのかと、衝撃でした。
そして先生たちは家でも同じ状況なのだろうと思っている可能性があること。
だから「給食だけでも」と言っていたのではないか。
善意から「家でずっと一緒では大変でしょうから、求職だけでも食べに来ませんか」と言っていたのではないかと夫に言われて頭を抱えました。
子どもはあのようなパニック状態になるのは、ほぼありません。
もちろん完璧とは言いません。
でも焦点が合わず、話も耳に入らず、ひたすらこの場から逃げたいと全力で逃げることは家でも習い事でもないのです。
学校が怖い
先生が怖い
大勢が怖い
幼稚園からずっと伝え続けてきましたが、伝わることはついぞありませんでした。
ある意味で、今回初めて通じたのかもしれません。
だから先生がひたすら私に付き添いを進めてきたんだろうと思います。
そしてこの付き添い、実は校長の許可を得ていないなかったと翌日校長先生からの電話で判明しました。
学校内でのやり取り不全
そこまで親はすべてを確認しなければ、この学校はやり取りができないのか
引継ぎは結局できなかったことを、2学期終わる直前に知らされ、先生たちの誤解が積み重なり、希望していたテストもいつの間にか「購入しない」手続きをされていました。
どこに誤解が存在したのかわかりません。
全て書面で出し続けていたものが引き継がれなかった。
口頭でいくらでも確認できる機会はあったのに、子供が「テスト受けたい」と言い出して初めて、テストが購入されていないことがわかりました。
どこから突っ込んでいいのかわかりません。
環境
体制
思い込み
そして子供の特性が最大限強化されてしまっていることが「落ち着いている」と判断されてしまっていたこと
3年間やり取りを続けていて、これなのかと
ちょっと涙が止まらなくなりながら校長と話しましたが
毎年変わる校長は初耳なことばかり
担任もそうです
毎年伝えていても「知りませんでした」そういわれるのです
2学期も終わる時期に……
色々疲れてしまったので、もう学校はいいやと親子で塾のドリルをやりながら、のんびりしています。
雪で遊んで、明日は病院です
子どもが安心して通える環境は、作れないんだなぁと
3年頑張りましたが、ちょっと休憩したいと思います