1学期終了後、すぐさま入院手術でした。

なので、一学期の振り返りもなにもないままに夏休み突入

 

本当は面談期間もあったのですが、入院日とどっかぶりだったので、後日ということで調整してもらってました。

 

が、夏休み、先生方お忙しい!

何度か電話でやり取りしましたが、なかなかご不在で繋がらない。

 

伝言もあまりうまく機能していなかったようで、まぁしょうがないかなと。

 

2学期早々面談を組むということで話は落ち着きました。

 

 

というわけで、夏休みは入院手術でした。

そして初っ端からトラブル発生

 

なんと先生、手術直前になって!

「見てからできたらやってしまいます」!?

 

聞いてませんが!? 

今それ言うの?

 

と不安を抱えてのとりあえず手術終了まち。

そして時間どおり呼ばれたと思ったら、またそこからが長かった。

 

戻ってきた子供。

先生曰く、無事終わりました。

見てみたら、行けそうだったので、

2回に分けてではなく終わりました……!?

 

は!? い・・・・・・?

 

 

ここから、急遽付き添いをしないと子供が持たないこと

(事前の説明では管は入らないで、一週間入院で退院できる)

 

本人麻酔から切れきってない段階で、自分の体に起きた異変についていけず大パニック……

 

もう一回手術してこれ取って! と大泣きでした。

 

事前の説明と納得がぜーんぶひっくり返ったので、そのフォローを先生してくださいといったもののやってくれず。

 

子供はわかるわけ無いと、納得もしないと…

 

だから親に丸投げですか? 

それであればこちらも納得しませんが? 

と主治医と看護師長と私達夫婦でひと悶着やりました。

 

結果、その日は私がPCR検査を受けて帰りましたが、子供午前2時まで寝なかったそうです。

(寝るとまた知らないうちに体を変えられると思って寝なかったそうです)

 

そして翌日から付き添いスタート

ですが、入院直前に実は私、救急車で運ばれていまして

万全の体制とは言い難い環境に加え、入院期間は倍に伸び、

付きそうにしても、通うにしてもどちらにしても負荷がでかいわけです……

 

さらに、さらに!

 

付き添いは夫婦交代で私は病院にも通いながらでしたが、

付き添いを切り上げ、残り一週間は通いでと思ったら、

こども、院内で濃厚接触……

 

 

面談不可というのが本来らしいですが、あまりにもあまりにも無理

 

子供のメンタル持ちませんということで、防護服つけて面会

 

……で、夫がコロナにかかりまして

 

私も濃厚接触者

 

当然見舞い不可になり、退院の迎えも来ないでください…

 

と、乗り切ったと思ったらまた次、

更に……みたいな雪崩状況でございました。

 

 

結果的に、子供と私は陰性で、移らないようにホテルで私は一泊

 

実家の母に退院手続きをしてもらい、わたしと子供は実家へ避難

(退院直後にコロナにかかったなんて目も当てられないので)

 

お陰で、子供は最初1週間の予定と思っていた入院が

2週間に伸び、さらに家に帰れないため実家で10日ほど過ごし

3週間と2日ぶりに家に帰る事ができたのでした

 

 

もう日々先が読めなさすぎて、それでもとにかく自分の体調管理はしないと真面目に倒れると思ってやってきたわけですが、

 

入院手術があるからと、体調管理には日々気をつけていたのに

まさか入院してはじめて濃厚接触から、家族がコロナにかかるというまさに踏んだり蹴ったり

 

入院しなきゃよかった手術しなきゃよかったと大泣きする子供と一緒に、私も思わず「そうだよね」としか言えない状況でした

 

 

なので、当然、宿題なんてできておりません

 

それどころか震災で避難したかのような着の身着のままで実家に行ったもので、里帰り出産すらしなかった私にとっては、実家に結婚後初めての長期滞在になったのでした。

 

二度とやりたくありませんし、

二度と計画にない手術変更を直前になって了承も得ずにやらかすなどという状況に欲しくはありません

 

子供の人権無視を散々学校でやられた一年でしたが

ここに来て病院でもやられるとは思いませんでした

 

ましてや子どもの権利条約を掲げている病院で!!!!

 

と、文句は言わなければ無視されて子供にも影響が出る!!

と、いうだけ言いましたし、病院側もその点は理解いただき

色々と子どものパニックも目の当たりにして、親が必要と病院側の要請で付きそう旨、初めて明記していただけました。

 

私はもう毎日頓服を服用

そして副作用の蕁麻疹

 

血圧もストレスで上がったまま

 

しかし熱中症になる訳にはいかないので保冷剤で体を冷やしながら飲み物も取りながらの通院になりました。

 

最後の「お母さんは病院へ今後来れません」と言われたとき

とっさに「祖母ならどうですか!?」

「規定で一切例外を認められません」

と言われたとき、流石に泣きました。

 

その時は、まだ退院がいつかも分からなかったからです。

 

もう本当にこの仕打ちは何なんだと。

 

終わったあとも、これはトラウマになるのではないかと

子供の様子を見ながらフォローをしていますが、

 

ひとまずわがまま大爆発したものの、手術後の自分の体が退院直前まで管を入れたりだったので、管を抜いたあと、以前より良くなっているとようやくわかって、本人はなんとか受け入れたようです。

 

 

というわけで、あまりの夏休み

二学期の準備とか、夏休みの宿題とか

そんなところまで行きつけるかわかりませんが、

ひとまず登校できるようになればいいなー

 

もしかすると無理かもなー

無理ならきっちり文句だけ言ったろう

どうせ何もしないだろうけれどさーーーー

 

と、色々疲れ果ててしまって気が抜けている状況です。

 

 

ひとまず、ホスピタル・クラウンもやっていらっしゃる

児童精神の先生を紹介してもらい、子供もあの先生好き! といっていたので、今度見てもらうのもありかもなぁと思っているのでした