はい!じゆうちゃんです!

 

今回は 幼少期から小学校卒業 について詳しく書いていきます。

 

私は2000年の秋、東北のド田舎で生まれました。(どうでもいいですが東北にGIDの専門医っていないんですよね…)

生まれた時が2000gを切る小さめの子供だったので助産院から急いで県内一の病院に運ばれ、2か月間入院していたそうです。

それからは特に既往歴もなくすくすくと育っていきます。

家族構成は父、母、姉、兄、私です。両親ともに公務員で忙しく働いており、私は幼少期から保育園に入っていました。

 

保育園では男女を意識することなくみんな仲良く過ごしました。(よく覚えていません笑)

 

そんなこんなで小学校へ入学します。

ランドセルの色は黒。おじいちゃんとおばあちゃんがプレゼントしてくれたものです。

特に抵抗は…なかった…?ランドセル自体四年生から使ってないのであまり覚えてないですね。

 

鉛筆や消しゴムなどの文房具は可愛いものを使っていたのですが、私の住んでいる地域がものすごく田舎で、一学年20人くらいしかおらず、しかも保育園から一緒の気心の知れたメンバーだったため、私が可愛いものが好きなことは知っていたし、男子の中には数人からかってくる人はいましたが、女の子の友達が守ってくれて、徐々になじんでいき浮くこともなく過ごすことができました。

家族は両親が割と放任主義というか、好きなことをあまり否定せず認めてくれて、姉も兄も個性的な二人なので楽しく過ごしました。家庭に関してすごく恵まれた環境だと思います。(家族についても今度詳しく話そうかな)

 

ただ高学年に入るとそうはいきません、このころからはっきりと自分の性別について悩むようになります。

男子として認識されたくない。私は女の子だ。それと同時に自分はおかしいのではないか、知識がなかったので悩みを誰にも気持ちを打ち明けられずにいました。

そういう方が世の中にいることもテレビでは見ていました。けれど私の持っている知識は、派手な化粧をして男性芸能人からいじられるいわゆるおかまタレントでしかなかったのです。

こんなことを言うと申し訳ないですが、私がなりたい女性像とはかなり違いました。こんな風に生きていくくらいなら男性であることを我慢しようと思いました。

人間関係も少しずつ変わっていきます。いじめはなかったのですが、女子の中にも男子の中にも居づらいと感じるようになります。

いじめがあったというわけではないのですが、学校も休みがちになり、教室ではいつも一人で本を読んでいました。

もともとそんなに騒がしい子供ではなかったのであまり変わらず日々をすごしていました。

小学校はこんなもんですかね~まあもうかなり前なので記憶が薄れている…

 

次回は 小学校五年生、人生初のカミングアウト  についてお話します。乞うご期待!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。次もお楽しみに~