じゆう〇児玉です

 

伝える

ことについて改めて考えてみましたので、

お付き合いください

 

 

かつての私は、伝えることは、

体育指導者の立場もあって、指導者(私)が伝えたことによって、

相手(主に生徒さん)が行動変化または、行動変容を起こした

ときに伝わったことになるとの考えから、

私が相手に言葉で伝えて、相手の行動が変わったことをもって

初めて伝えるという行為が成り立つと思っていました

伝えるとは、相手の行動の変化を伴うものだと

 

良い点は、例えば、体育指導者としては言いっぱなしではなく、

私がアドバイスという行為を行ったことにより、相手の動作が

改善して、全体的によいフォームで動くことができ、結果として

タイムがよくなることがあります

 

しかし、問題なのは、アドバイスが相手を変えるために行われると

思ってしまうことにあります

相手の行動が変わったことが、私のアドバイスによるものであると

 

今の私の伝えるということに対する考えは、

 ・私という主体が、意図を持って相手に対して言葉を発する=伝える

 ・相手という主体がそれを聞く=聴覚を発動する

 ・私が伝えたことを相手という主体がそれを自分なりに解釈する

 ・相手がやってみようと考える

 ・相手が実際に行動する

ではないかと

 

心理学的な見解で、私がすごく共感できる言葉に

「心というドアは、内側にしかノブがついていない

他人ができるのは、ノックをすることだけである」

というものがあります

 

伝えるという行為は、まさに、相手の心理に何かしら影響する行為なので

この言葉が当てはまると思います

 

やっと、大事にしてきた言葉と私の仕事の核である伝えるという言葉が

つながった感覚です

 

これに気づくのに20年近くかかった計算になります

 

伝えるのは、風と似ています

風のたより

風のうわさ

など

伝わることは、風のよう

台風のように激しく

すべてをなぎ倒すようなものも風の一つの様態かもしれませんが、

人の心は、自分が認めない限りは簡単になぎ倒されると表現できる

ものではないでしょう

 

私は、そよ風のような伝え方を意識して活動していきたいと思っています

 

心は、内側にしかノブはついていないから

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます!