下重暁子さんの著書‘家族という病‘は

拝読はしてはいませんが、

タイトルのインパクトで脳裏に残る本に

何気になっています。(読んでないのに!)

 

本はタイトルが全て・・・というのは

少し大袈裟かもしれませんが、

売れるか売れないかは、タイトルが

9割だと思っている夢子です。

 

それはさておき、昨年末に突如として

‘毒親‘についてを再び考える機会があり

ました。

 

夢子の両親は明らかに‘毒親‘ですが、

(既に父は他界)

言葉に拘りがあるので、‘毒親‘という

言葉自体が好きではないため、

‘毒親‘だと言ったことは殆ど無かった

のです。 言葉自体は、‘親ガチャ‘も

好きではありませんが!

 

そしてそして・・・

これを書いたら世間に怒られそうですが、

世の中の9割位は実は‘毒親‘だと

思っているので、日本のスタンダードが

‘毒親‘なのです!!

 

また、兄弟姉妹と仲が悪い人というのも

ものすごく多くて、実のところは、

日本の家族って、険悪な感じも普通★

 

それでも、家族というものが連綿と

続いていることはなぜなのか?

と考えると、‘家族という修行‘なんだと

しか思えなくなりました。

 

稀に、仲良し家族さんとか居るみたい

ですが、本当に‘稀‘だと思う!!

 

面倒くさいことが嫌いな人は、

さっさと‘家族という修行‘から逃げ、

係わらないようにするでしょう。

 

夢子はそう出来ないタイプであるが故、

家族問題をやり続けるはめになり、

悪戦苦闘を続けた結果として、消耗★

 

しかし、母が他界するまでは、

夢子の責任だと腹を据えています。

 

こんな修行に何の意味があるのかは

全く分かりませんが、夢子的には、

家族というものは、誰かの自己犠牲が

無ければ成り立たないと思うようにも

なりました。

 

もしも、家族全員に何の問題も無く、

皆が幸せ者で、尚且つ、生老病死が

無ければ、誰かの自己犠牲など

必要はないのかもしれませんが。

 

家族のメンバーに、自己犠牲的な人が

一人も居なければ、てんでバラバラに

なって行くのも仕方がないでしょうし、

そういう家族も多いものです。

 

保守とリベラルでは家族に対する考え方が

まるで違いますが、夢子からすると、

どちらも机上の空論としか思えない。

家族をやるって、本当に大変なのですから。

 

少子化になっていったのは、家族って

大変だな~・・・と、潜在的に思っている

人が多いからなのではないかと、

密かに思っています。

 

‘家族という修行‘を終えた時には、

‘家族‘というものから解き放たれて、

過去のこととしたいと思っている、

夢子なのでした☆彡