12月29日付で、ロシアの裁判で合法になったそうです、ギーター!
ギーターに問題が問題であるのではなくハーレークリシュナ教団バージョンが問題・・とかお茶を濁したコメントが出てた。
ヒトラーの「我が闘争」と一緒に禁書扱いになるとこだったのは・・あんまり・・とインド人団体が怒りだした。
あんまりくわしくないのですが、ギーターはちょっと読んだところ・・やや過激です。
本音と建て前
真実と常識
そういうのがあって
変だと思われてもいいから前者の本音と真実が好きという人向きかも。
クリシュナが実在の人物だったか・・?とかアルジュナの受難に書かれる戦争が本当にあったのか・・というのはインド人でも意見が別れる。
一説ではクリシュナは釈迦と同じで本当に存在した人間で、ヴィシュヌ神の化身。
クリシュナのほうが時代が古く、ギーターの絶対一元論アドヴァイタ的な「人間に自由意思がない」という論理を打ち出して、インドの宗教観が(少し悪い意味で)偏ったため・・・
クリシュナとして生まれ変わったヴィシュヌの化身が次は釈迦となって出てきてバランスを取った・・とか・・。
あとラーマ・クリシュナがベンガル地方で釈迦の次のヴィシュヌの化身と言われていますが・・・
やはり講和がアドヴァイタ的で・・・ギータの世界観に似てるな・・と思いました。(ヒンドゥーだから当然ですが・・)
後以下は和尚ラジニーシがギーターについてディスコースしてる部分。
戦争は始まらなければならなかった。両方の軍隊が対峙して、互いに殺し合いを始めることができるように、合図がなされるのをまさに待っていた。アルジュナは、何百万もの人びとを見て、少し動揺した。彼は考えた。「これはばかげている。王国のためというだけで、ただ王になるというだけで、何百万もの人びとを殺すだけの価値はない」 この考えがあまりにも深くつき刺したために、彼は自分の有名な弓を捨てて、クリシュナに伝えた..クリシュナは彼の御者、彼の戦車の御者だった..彼はクリシュナに伝えた。「戦車の向きを変えてください。私をジャングルに連れていって、そこに置き去りにしてください。私は世界を放棄したい。私はもうこの王国は欲しくはないし、戦いたくはない」
クリシュナは彼と議論した。これはお前の義務だ、お前は臆病者だ、これは現実逃避だ、と彼を納得させた。そしてついに、クリシュナは彼を戦わせた……。
彼はアルジュナに言った。「それは神によって決められている..戦争は起こることになっている、避けることはできない。お前が逃げても、ほかの誰かがお前にとって代わらなければならないだろう。
それでも戦争は起こることになっている。だから心配することはない、お前は口実にすぎない。お前がこの人びとを殺しているのではない。この人びとは殺されなければならないと神がすでに決めたのだ。そしてこの人びとは、宗教を救うために殺されなければならない。この人びとは平和のために殺されなければならない。お前はそれをやらなければならない..それはお前の義務だ!」
そして、彼は偉大な論旨を与える。彼は言う。「そして、覚えておくがいい、お前が人を殺すとき……」 そしてこれはもっとも危険な論旨だ。彼は言う。「お前が人を殺すとき、お前はその人の身体しか殺さない。魂は殺されていない。魂は永遠だ。だからなぜ心配することがる? 彼は再び生まれるだろう。彼は別の身体を、実際には新しい身体をもつだろう。お前は古いモデルを取り去り、その人は新しいモデルを得ることになる。魂は永遠だからだ」
GUIDA SPIRITUALE, pp.228-229
それがクリシュナがアルジュナに言おうとしていることだ。「ゲームを心配してはいけない。遊ぶがいい! もし、戦士のゲームを遊び、この戦争を戦うことがお前の役として回ってきたら、戦うがいい。ただ中心にとどまって、これはゲームだということを見守りつづけるがいい。そして、それには深刻なところはなにもない」
クリシュナにとっては、それはゲームだ。ある日彼は約束して、別の日には忘れる。彼はほんとうに解放されている。彼の解放は完璧だ、欠陥はない……彼はすべてがゲームだと知っているからだ。すべてがゲームで、すべてが夢であるとき、そのときになぜ煩う? 彼は心配していない。彼はそれを遊ぶ。そして触れられないままとどまる。