時代が違うなぁと言われればそれまでだが、

同年代の人と会話していて気が付いた。

 

戦争のことは、どこでも、特に参政党など保守といわれる党が、

歴史の歪曲を糺そうとしているが、それは、はっきり共感できるが、

 

それにも関わらず、ちっとも動かないし、参政党が与えた社会的な

インパクトは、大きいが、そういう動きが、ずっと停滞したままなのも

すこし変である。

 

今日言いたいのは、今の社会問題である。

 

戦争中、日本は、石油が入って来なくなって、物資にも窮乏していた。

国威発揚として、贅沢をしてはいかんと、「欲しがりません、勝つまでは!」

そういうスローガンも、当時は、流布されていた。

 

そのポスターに、噂では早稲田の学生だと言われているが、「敵」の字の

上に、「素」の字を、付け加えた。

贅沢は、敵だ!!とするところを、贅沢は、素敵だ!!としたわけだ。

 

それは、今でも当てはまる。

贅沢は素敵なのだ。当時は、物がないから、我慢を強いられた。

欲しい物でも、我慢させられた。国のためには、それを犠牲にしても

頑張った。

 

今の世界とよく似ている。二十世紀は、欲望の時代だったと言えないか?

領土の奪い合い、日本が負けて、なんでも自由になった。

欲望丸出しの世界に日本は、チェンジしたのだ。セックスは、やり放題。

好きなものは、食い放題。今までは、それに抗うように規律があったけど、

 

二十世紀の文学は、操にこだわった。処女にこだわり、恋愛は、結婚に

こだわった。

それゆえに、今は、結婚に素敵だと思えないのだ。それよりも、ゼニが大事なのだ。

きれいな服を着たり、おいしいものを食べたりすることの方が、大事なのだ。

結婚は、贅沢なんだ。だから、敵なんだ。

 

生活習慣病もそうである。好き勝手のなれの果てである。

きちんと、健康的な生活していれば、関係ない話である。

規律がきちんとあったのが、マヒしてしまうようになった。

生活は、乱れ、なんでもまぁいいや。責任取れ!誰も知らん顔している。

 

セックスが、素敵なものと思えないから、子供が、できないのである。

物が、だぶついている。昔のお母さんは、学はなくても、栄養のバランスを

よく考えて、ごはん作った。今は、すぐに時短なんていう。手抜きするな。

 

そういうと、忙しいのだからと、言い訳する。言い訳するくらいなら、まだいい。

考えられないことは、考えたくないのである。知らないことにしたいのである。

 

そうして大きくなった大人が、要領よくきちんと、仕事ができるだろうか?

 

ことの本質は、そういうことだと思った。