今年もまた、お盆が近づいてきた。

 

今年の終戦記念日は、どんな世論で、

迎えるのだろうか?

 

ちょっとした、楽しみでもある。

旧世代の人たちは、終戦記念日といって、

敗戦記念日とは、決して言わなかった。

 

そのリベンジは、経済に向けたのだろう。

 

その空気も下火になって、物を作っていこうというより、

消費していこうということが、強くなってきた。

 

だらだら消費していたが、それが、なんとも不自由になってきた。

まぁ、それでも、生活できていたらというあきらめで、そのまま

人生を送ってきた。

 

日本政府、それを牛耳っている官僚は、お隣の国、中国と同じで、

言語が、違うだけの姉妹国にしようとしているのか、中国が、やっている

サラミ政策と同じように、売国奴の日本政府も、日本人を切り離し、

サラミ政策によって、日本を貧乏にしてきた。

 

段々段々と貧しくなってきて、賢明な官僚なら、それを止めることは、

可能であったはずなのだが、とうとうここまでやってしまった。

 

それを止めることは、誰にもできないから、その防衛策を国民は、

考えていくしかない。

 

参政党のよしりんが、百数十年からの、故郷の静岡の故郷を税金が

払えず、売り払って更地にしてしまったと聞かされて、実にひどい、

国からの裏切りに会ったように思った。

 

あたりを見ても、みんなどうしているのか、すこしづつ、連絡を取り合っている。

 

昔からあった個人商店に、潰れないで営業しているところをみかけると、

戦後生き別れになった人と交わした言葉のように、「あぁ、ご無事でありましたか?」

と、ねぎらいの言葉をかけてあげたくなってくる。

 

本題に戻そう。

日本人の智慧として、三方よしは、有名として、

商人、家庭の在り方として、

「金残すは、下。会社(家)残すは、中。人残すは、上。」

としてきた。

また、どんな苦境にあっても、インフレ時代にも、デフレ時代でも、

儲けるのは、簡単だ。これからの時代は、使うのが、とてもむつかしいのは

変わらない。政府以下、国民は、そのことを考えたことが、あっただろうか?

 

個人的にも、政府予算でも、本当によく考えた使い方をしているだろうか?

家庭でも、国家にも、良心的な人はどこにもいて、それでもってるような

ものだが、個人でも、国家でも、団体でも、どこかで、あてにしているところは、

ないだろうか?

 

今まで、安易に価格競争に走る。

限界がすぐくるのは、考えたらすぐわかるが、誰もそれを止めようと

しない。

 

予算は、これだけある。それを、如何に有意義に使うかである。

政府、官僚は、ただの御用聞きにすぎなくなってしまった。

 

ここに、世の中をよくするには、この御用聞き、放漫な個人が、

目覚めてくれる社会になってくれることである。