およそ、考えてみるに、
ほんとうに、現代は、そんな
悲壮の時代なのか。

そりゃあ、恵まれなくて、
可愛そうなひとは、
いっぱいいる。

それでも、デモを起こしたり、
生活が不満で、暴動を起こす人たちは、
まだ、暴れるだけ、元気があっていい。

なぜかと言うと、
不満ながらも、生活しているからである。

さて、競争の真っ只中の渦中に入り、
日々奮闘しながら、もがいている人たちは、
どうしても、精神論に走りがちだ。

どれもこれも、いきづまりからくる。

ほんとうに、そのなかで生活していたら、
自分は、そうあってはいけないと思っていても、
回りに感染されて、そのなかに、
呑み込まれていってしまう。

経済が、人々を救う。
そう思って、日々チャレンジされて
おられる、安倍首相に、静かながらも、
声援を送りたい。

それで、それでも自分たちでは
気がついていないけど、
これは、必須だ、これは、しょうがないと
思うもので、増えてきた支出とは、
かなりたくさんある。

携帯電話、パソコンなどのインターネット関連、
加齢による、福祉関連、

昔だったら、とても考えられなかった分野に
金が投じられ、喘いでいる。

だけど、これが、大きな潮流だから、
みんながそれに巻き込まれているだけであって、

激流に逆らうようで、それはそれで、
圧力は強いものだが、

タダで、いいものは、まだまだいっぱいある。

不平はなしだ。

いやなら、携帯は、使わなかったらいい。
電車は、使わないで、歩いて移動すればいい。

高価な贅沢品は、デパートへ、見に行くだけでいい。

鰻屋の前で、蒲焼の匂いを
嗅ぐだけで、食べた気持ちになったらいい。

それが、不足だ、惨めだと思うからつらい。

そうして、改善していくと、
かなりなものが、不要になってくる。

いまは、手が届かないけれど、
ほんとうに欲しいなと思うものは、
いろいろ研究をして、
やっと手に入った時の喜びは
ほんとうに大きなものである。

そういう精神を忘れてはいないか。

なんでも手に入る、金さえあれば、解決できる。
そんな風潮の中で、自分なりの本当のよいものを、
発見して欲しい。

それが、結局は、大きなニーズを作り出すことだ。
これなら、お金出します。

そういった、発想は、日々の中からうまれてくる。