大阪の高校野球部主将が、
体罰で、監督から暴力を受けて自殺した
問題から、
柔道女子日本代表の監督が、
選手たちに暴力をふるったとして、
JOCに抗議した問題まで、

スポーツに体罰は、必要ないかという
議論が、持ち上がっている。

人より、抜きんで、
人から勝たなければいけないから、
トップを目指そうとしたら、
当然、肉体の無理は、承知である。

結論から言えば、
体罰、暴力は、反対である。

人から、苦痛を与えられて、
向上する訳がない。

しかし、勉強でも、スポーツでも、
緊張から来る
集中力がなければ、向上しないのは、
あたりまえである。

だから、どんなスポーツをするにも、
基礎的な、基本能力が備わっていなければ
ならない。

監督は、それを活かしながら、
モチベーションを挙げて、
最大限の能力が発揮できるように
しなければならない。

それで、集中力を挙げるために、
暴力で、傷つけるのは、
それによって、緊張感は、生まれるかもしれないが、

本質的な、テクニックを
習得させることには、
つながらないのだ。

選手たちは、
目標に向かって、
やりぬくという克己心を、
当然持たなければならないが、
自己管理ができないようでは、
よい結果を生み出すことも
できない。

そこに、ハッパをかけるために、
暴力を駆使することは、
人間関係が、構築されていて、
その監督が、信頼されていて
はじめて、ものが、言えるのでは
ないか。

それは、暴力では、けっしてない。

教えを受ける、選手たちは、
監督以上に、監督を見ている。
憎悪を生み出して、続けることが
よいことなんて、少しもありえない。

それでも、まぁ、監督としては、
信頼されなくて、イライラしているの
かもしれないが。

それに、監督と選手たちの
相性もあると、思うが。

自分が、そうなった時、
その時は、よく考える。

どうしても、ついていけなくて、
それでも、そのスポーツが、やりたくて
逃げたくなったら、他の自分に適した、
もっとよい環境を選ぶ。

自殺するほど、悩まなくてもいいのにと、
思う。

かつて、オリンピックで、よい記録が出た
大会があった時、
スポーツ記者が、林語堂さんに、
感想を、尋ねた。

そしたら、林語堂さんは、
「一番取ったからといって、
何か、よいことでもありましたか?」
と、熱中している記者に、そう答えたそうである。

何事をやるにも、
それくらいの余裕を持って欲しい。

努力すること、挑戦すること、
それは、大切である。

結果は、自分を証明するものである。

だからといって、パーフェクトな人間は、
誰もいない。

もし、勝てたとして、満足な結果を得ても、
たまたま、相手が、弱すぎたからの時もある。

それくらいの、余裕と、見識を持って
生きていかないと、
人間は、誰でもつぶれてしまうと思うのだが、、、。