作品に対する
著作権問題に、おおよそ
決着がつこうとしているが、

メディアによる発展で、
それによるビジネスにつながって、

あらゆるところで、
闘争が行われているが、

それとは無関係に、
無頓着に過ごしていることも
又、事実である。

知らなかった、知らないことをよいことに、
そこにつけ入って、金儲けをたくらむ輩も、
少なくないけれど、

今後は、情報発信した
張本人とは無関係に、

それをよいことに、
つけ入るようなしたたかなつわものも、
当然現れてくる。

発信した作品などでも、止めるか、フリーにするかは、
全人格が現れてきて、

気前のよい人など、
無条件で、パスさせる人もあれば、

ケチでまったく取りこぼしのないように、
完全に網を張っていたりする人も
あったりで、いろいろである。

しかし、目をやっていけば、
この情報革命は、
すべての人に、すべてを丸裸に
してしまうことを、可能にしてしまった。

先年、お亡くなりになった、
浅川マキさんの歌を
探していたら、
生前のインタビューを聞いてみると、
アンダーグランドの第一人者でもあって、
すごくためになる話を聞いた。

当人は、自分の発表した作品の、
レコードや、CDさえも、持っていないという。

そして、ひたむきに音楽を聴いて楽しみ、
自分の音楽を聴く人は、可愛そうねなどと、
笑っておられた。

ライブがすべてで、音源にこだわり、
その時代をこの間のように語り、
生きていくことに、全部を捧げておられた。

その反対で、You Tubeなどで、
いい曲なので、ミクシィで紹介したら、
気がつくとすぐにでも、削除してしまうひともある。

削除する方は、その音源の
関係者であったり、それによって
利益を得ようとする者であるから
利用されては、困るのである。

そう考えてみると、
情報は、無料といっても

それは、発信者の
コンテンツ、質であったり、利用度で
あったりもするけれど、

おおらかに、前面フリーにする
心の大きな発信者より、
それによって、自分のたくらみによって、
金銭欲しさ、露出度で、新鮮味を失う恐ろしさ、
生活などのメリハリなどの心配によって、止めてしまうのも、
納得のいくものである。

要するに、人は一律ではない。
情報は、どんな利用も可能だけど、
よくもなり、悪しきにもなる。

だけど、よい目的は、よい結果を生むし、
悪い下心は、そのような結果しか、生み出す
ことはできない。

人類は、時代は、どのように、それに決断を下すか
わからないし、

それが、社会認識として
定着するまでに、
生活している我々は、
その時代に、認識しておかなければ
いけない事実は、いろいろあるけれど、

お金の価値というものを、
あらためて再認識しておかなければ、

亡者ばかりでは、
亡者のために、当然社会的被害を受けるし、
その痛みに対して、立ち上がり、
矯正していくしか方法はないが、

音源も又、そういう試練を受けていると、
なんだか便利になった社会に、
これからの一抹の不安も感じられたりした
このごろである。