私の母は、自殺した。

私が26歳の時に私の前からいなくなった。

鬱になり、入院したり通院したりしてた。

周りは、回復しかけたなぁと思った矢先だった。


その衝撃の凄さから、半年は生きてるような死んでるような生活していたから、鬱になった母を支えていた期間の記憶も薄い。


自死したせいなのか、お母さんを神のように

女神のように崇めてた。


家から締め出され、放置され、

言葉の暴力や身体的暴力を受けたことも

なかったことにしてた


太陽のように明るいお母さんが大好きだったから

そういう風にしたのかもしれない。


お母さんがいなくなり、

虐待は連鎖しないと思ってた。


でも、先日言うことを聞かない娘に


『もう知らん。勝手にして。そうやってそこにいたければいればいい。置いてくし、ついてこんで』と自分の中の怒りの感情をそのまま出した。



母親として

怒ってはいけない。

やってはいけない。



と感情を抑えてやってきたが、


(もういいからこの思いを吐き出させてって思った)


怒りの感情を⭕️にした。

怒りを持ってもいい。外に出してもいい。と

感じたままの感情に許可を出した。






その時それをみていた長女から

それ虐待だって‼️近所から警察に通報されるよ💢って

まっすぐに冷静に怒ってきた。



私のやってることは虐待⁉️

すぐには理解できなかったけど


私はそうされて子ども時代を生きてきた。

子どもには理解できない

大人の感情で、都合で。。。

そうやって泣くな‼️って抑圧されてきた。


その方法しか知らない。

別の方法はあるのに、言うことを聞かす方法として置き去りにするを選択をされ、

私自身も選択肢の中に置き去りがある。


経験したことしか子育てはできないというけど、

そうやって虐待は、そう思ってなくとも

続いていくのかと実感した。


ただこれを書いて誤解して欲しくないのは、

虐待を正当化しているわけではない。


逆にめっちゃ腹立つ‼️

自己受容してきたのに

自分が怒りの感情の扱い方を間違えているのと

その出し方が右にならえのように

母と一緒だったってこと。



怒りに蓋をすればするほど抑圧という圧により

圧縮され濃厚になる。つまり増幅される。

そして爆発した時に

思いっきり言葉暴力や、身体的な暴力であったり

弱き者へ抑圧した感情をぶつける。


でもね、それって教えてもらってないから

母からされた虐待が連鎖しただけ。


開き直りでもない


誰しも悪くない。もしかしたら母の母もそうだったのかもしれない。


誰もが知らないだけ。


あとはその感情に気づいた時に

お手当する。


コツコツそれを続けると

怒りの奥底にある

深く深くキズついた悲しみが見えてくると思う。


その悲しみをギューーと抱きしめて。

離さず寄り添ってあげてほしい。


あなたも私もその方法を知らなかっただけ。

お母さんを否定できないだけなのかもしれないよ。ほんとはお母さんが大好きで

お母さんを受け入れてあげていた

優しい人なんです。


だからこそ、お母さんがあなたにしたことを

許さないで欲しいです。


その気持ちはいつしか何もかも許してしまうから。

このぐらい大丈夫ってどんどん受け入れてしまう人になってしまうから。


優しい人って受け入れる人ではなく

ほんとは、受け入れないことを相手に言える人なのかもしれません。


私もそうなりたい。



絵文字もなくて、ただ書き連ねただけだけど

気持ちの整理にもなり書いてよかった。


読んでくれてありがとう